20年にわたり女子ツアーを牽引した
毎年ニューヒロインが登場し、近年ますます盛り上がりを増している日本女子ツアー。その黎明期を牽引した選手が樋口久子だ。1945年生まれの78歳で、ゴルフ中継の解説者としてテレビで観る機会も多いだろう。
日本女子プロゴルフ協会の歴史は、女子プロの卵28人によって「全日本ゴルフ場女子従業員競技会」が開催された1961年に始まる。
67年10月に第1回女子プロテストを行い、26人が合格。日本プロゴルフ協会内に女子部が創設されるのだが、トップ合格を果たした1期生が、当時22歳になったばかりの樋口である。
翌68年のツアー競技はわずか2試合。第1回日本女子プロゴルフ選手権とTBS女子オープン(現・日本女子オープン)で、いずれも樋口が優勝。69年も開催されたのは全2試合で、どちらも制したのは樋口だった。
70年は6試合に増えたが、うち樋口が3勝。以下、71年4勝(全5試合)、72年4勝(全5試合)、72年7勝(全14試合)、73年7勝(全14試合)、74年7勝(全18試合)。
協会会長に就任、世界ゴルフ殿堂入りも
国内ツアーで通算69勝を挙げた樋口だが、日本は試合数が少ないため、活躍の場を求めて70年から海外に挑む。
74年に豪州女子オープンで優勝すると、76年はコルゲート欧州女子オープンで日本人選手として初めてUSLPGAツアー制覇。そして77年には、全米女子プロゴルフ選手権で日本人初のメジャー優勝を果たした。
96年には日本女子プロゴルフ協会会長に就任。2011年に定年を迎え相談役となり、現在は顧問を務める。
03年には「生涯業績部門」でアジア初の世界ゴルフ殿堂入り。同部門は、選手としての実績に加え、ゴルフの発展に貢献をした人物に与えられる。
毎年秋に行われる「樋口久子 三菱電機レディス」は、「紀文レディースクラシック」として1983年に第1回大会が行われた。
その試合を制し、節目のツアー通算60勝を飾った樋口は、優勝賞金を全額寄付。その縁があり、97年に「樋口久子 紀文クラシック」に改称された。その後、主催や特別協賛スポンサーの変更を経た今もなお、樋口の名は大会名に残されている。
日本女子ツアーのスタートから現在まで、半世紀以上もゴルフ界と密接につながり続ける樋口久子。まさしく「レジェンド」の称号にふさわしい人物と言えよう。
公開日:2024.04.20