助っ人外国人列伝/阪神打者編
日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ投打の名選手各5名と、印象深い選手を投打から各1名紹介する。
阪神での出場7試合で「神のお告げ」で引退した!マイク・グリーンウェル
【打者番外編】マイク・グリーンウェル
〈NPB通算データベース〉
・打率 231
・本塁打 0本
・打点 5打点
阪神の救世主となるべく期待された入団
現在までにNPBには1000人以上の助っ人外国人が来日している。そのなかには前評判通りの活躍ができず、ファンをがっかりさせた「ダメ助っ人」も多かったが、プレー以外の部分で大騒動を巻き起こし、さまざまな意味で球史に名を残したのがマイク・グリーンウェルである。
グリーンウェルは、1982年にMLBドラフトの3巡目でレッドソックスに入団。堅実でシェアな打撃を武器にレギュラーの座を勝ち取ると、ワールドシリーズやオールスターにも出場する「ミスター・レッドソックス」として活躍していた。
一方、当時の阪神は日本人選手が育たず、1995年が2年連続で最下位に沈み、1987年以降でAクラスが1度のみというどん底の状態。
頼みの綱の助っ人外国人もハズレが続き、メジャー仕込みの触れ込みだったロバート・ディアーやスコット・クールボーが期待された結果を残すことができなかった。
ランディ・バース、セシル・フィルダー、トーマス・オマリーなどの超優良助っ人外国人を手放し、代わりに連れてくる助っ人がハズレばかり……。チームの低迷も相まって、虎ファンの苦悩が続いた時代である。
退団理由はまさかの「神のお告げ」
そこで阪神のフロントは今度こそとばかりに、タイガース史上、もっとも輝かしい経歴をもったグリーンウェルに白羽の矢を立てたのである。
メジャーでの通算打率が3割、そして130本塁打の数字は超一流の証であり、球団は大枚をはたいて当時の球団史上最高額の契約で大物助っ人を迎え入れた。
ただ、ここからが一筋縄でいかない。春季キャンプ中に勝手に帰国したと思えば、「背中を痛めた」という理由でなかなか再来日せず、アメリカに医師を派遣する騒動に発展。
そしてペナント開幕後にようやく再来日するも、調整期間を要求して試合になかなか出場せず。虎ファンのヤキモキが続くなか、お目見えしたのが1997年5月の広島戦だった。
虎ファンの期待が最高潮に高まったこの試合で、グリーンウェルは試合を決める走者一掃の三塁打を放ち、翌日も勝ち越しタイムリーとその実力をいかんなく発揮する。すったもんだがあっても「さすがメジャーの一流!」と虎ファンを唸らせたものだが、7試合目の巨人戦で事件が起こった。
ヒット1本で6000万円!?
この試合で右足に自打球を当てたグリーンウェルは痛みが引かず、精密検査したところ骨折が判明する。当時34歳で衰えが見られず、回復後にまだまだやれると思われていたが、なんとグリーンウェルは、「これは野球から身を引けということに違いない」と引退を決意したのである。
この事態に球団が大慌てしたのは想像に難くなく、説得にあたるも本人の意思を尊重して退団を了承。急遽行われた引退会見では、引退理由を「神のお告げ」と迷言を残している。
こうして颯爽と日本を去ったグリーンウェルが阪神でプレーしたのはたったの7試合。26打数6安打、打率・231、0本塁打、5打点の成績を残し、ヒット1本あたりの単価が約6000万円と話題になった。
そんなグリーンウェルは、引退後に北米で人気のカーレースのレーサーに転身する傍ら、フロリダで遊園地や大規模農場を経営。2023年はプロ釣り師として大会に出場するなど悠々自適な生活を送っている。
公開日:2023.12.26