プロ野球妄想年俸
本サイトや雑誌「がっつり!プロ野球」(日本文芸社)でも好評を博した『球界のレジェンド、今なら年俸はいくら?』。昭和のレジェンド選手が、もし令和の現代プロ野球界でプレーしていたら、一体年俸はいかほどか――。そんな“妄想”だけで綴る当企画。今回は「ミスタータイガース」こと掛布雅之の「妄想年俸企画」第3回!前回、プロ6年目にして妄想年俸がついに6億円に達した掛布雅之……いったいどこまで年俸は上がるのか?
7年総額56億円の大型契約で掛布雅之が生涯阪神に!
⚫︎掛布雅之/阪神タイガース
プロ入り1年目から着実にステップアップを重ね、7年目にしてついに妄想年俸6億円に到達した掛布雅之。しかし、1980年、プロ入り初となる「落とし穴」にハマってしまう。
この年、早稲田大から岡田彰布が鳴り物入りで入団。のちにバースとともに最強クリーンアップを組む掛布雅之と岡田彰布だが、岡田彰布のプロ入り当初はポジションがかぶるため、一部では「ライバル」という見方をされていた。それでも、プロのキャリアでは掛布雅之のほうがはるかに格上。開幕戦も当然のごとく「4番サード」で先発出場を果たすも、直後に左ヒザを痛めてしまう。このケガが響き、掛布雅之はプロ入り後最少となる70試合出場に終わり、レギュラー定着後では自己ワーストの成績でシーズンを終える。前年、48本塁打を放っただけにチームとしても大きな痛手となったが、それに波及するかのように球団内部も大混乱。就任2年目のブレイザー監督がルーキー・岡田の起用法を巡って球団上層部と対立。結果、開幕から2カ月もたたない5月15日に監督を辞任する運びとなった。こうなるとチームが上手く回るはずもなく、シーズン前半こそ善戦したが8月を境にずるずると後退。結果的にシーズン5位、4年連続のBクラスに沈んでしまう。
掛布雅之自身にとっても不本意な成績だったのは間違いないが、最大の要因がケガだったこともあり、妄想年俸的には大幅ダウンは回避。ここは前年から5000万円ダウンの5億5000万円で手を打たせてもらいたい。
そして迎えた1981年、掛布雅之にとってプロ8年目のシーズン。現在であればこの年、掛布雅之はFA権を取得する。妄想年俸的にも重要な1年になるのは間違いないが、掛布雅之は前年の不調を見事に払しょくする。キャリアを通じて初となるシーズン130試合フル出場。自己最高となる打率.341(リーグ4位)のほか、23本塁打(リーグ8位)、86打点(リーグ3位)をマーク。主砲として華麗なる復活を果たして見せた。チームも藤田平が打率.358で首位打者に輝き、2年目の岡田が打率.289、20本塁打、76打点をマーク。投手陣では小林繁が16勝、山本和行が12勝と2人の2ケタ勝利投手が生まれ、5年ぶりのAクラスとなる3位に浮上した。
チームとしても徐々に戦力が整いつつある中、掛布雅之は同年オフ、現在であれば国内FA権を取得することになる。当然ながらチームは残留へ向けて大型契約を提示するはずだ。また、ここまでの成績を残していれば、現在ならメジャーリーグ移籍も取り沙汰されたはずだ。大谷翔平(エンゼルス)は別格として、鈴木誠也(カブス)、吉田正尚(レッドソックス)の活躍により、メジャーでも日本人野手の実力が再評価され始めている。コンスタントに打率3割以上をマークし、20~30本塁打を期待できる掛布雅之の実績であれば、メジャーに移籍した場合、年俸20億円以上は確実だろう。ただ、本稿では史実に基づき、掛布雅之はあくまでも“生涯阪神”を貫くと仮定。
その上ではじき出される契約総額はズバリ、7年総額56億円だ。
参考にしたのが、柳田悠岐が2020年からソフトバンクと結んだ契約。年数は7年で、年俸は変動制だが2023年まではコンスタントに6億円前後を推移している。ただし、柳田がこの大型契約を結んだのは32歳シーズンから。掛布雅之は1982年時点でまだ27歳。伸びシロを考えても、年俸8億円ベースの7年契約は、現代の相場から考えても決して安くはない。まして、阪神は12球団でもトップレベルの資金力を誇る。「ミスタータイガース」の残留にはそのくらいの誠意を見せるはずだ。
公開日:2023.12.25