眠れなくなるほど面白い 図解 日本史
歴史は「流れ」がわかると面白いほどよくわかる! 日本列島の誕生から文明の発達、集落から国づくりへ、貴族社会から武家の台頭と下剋上、鎌倉幕府と室町幕府、織豊時代と江戸幕府、幕末の動乱から明治維新を経て近代国家への道、帝国主義と世界大戦の時代、新しい世界秩序へーー日本の通史を「まるごと図解」解説! 異説や日本史の謎に迫るコラムも充実。

縄文時代の農耕と食生活の変化|団子や雑炊を楽しんだ中期以降の調理道具の進化【図解 日本史】
縄文農耕の発展で狩猟/採集道具より調理/保存用道具の開発/実用化が進んだ理由 縄文農耕が深化発展し、食生活が変化してくると狩猟・採集道具よりも調理・保存用道具の開発、実用化が進みます。 まず、炉が複式炉に改良され、常に置 […]

縄文人の定住生活と新常識|三内丸山遺跡にみる選択栽培とロングハウスの謎【眠れなくなるほど面白い図解 日本史】
三内丸山遺跡の分析で最近判明した縄文農耕の始まりのきっかけとは 土器が発明され、食糧加工、保存技術が改善されると定住生活が可能となり、集落が営まれるようになりました。これは最近になってわかってきたことです。 定住生活が始 […]

縄文文化成立の謎|日本海への暖流流入による植生変化と『土器の発明』が変えた列島環境【眠れなくなるほど面白い図解 日本史】
縄文文化を発生させた人類史を画する大事件とは 日本海に暖流が流れ込み、日本列島の気候変化、植生変化、生態変化が始まり、自然環境が一変したことが縄文文化成立の前提条件になっています。 古生態学者たちの花粉分布測定調査では、 […]

日本の火山崇拝と山岳信仰のルーツ|古代ピラミッドやストーンサークルに秘められた意味【眠れなくなるほど面白い図解 日本史】
日本では半自然/半人工のピラミッドやストーンサークルが多数見られる理由 火山の崇拝【日本史】 環太平洋諸国諸地域、とりわけ、日本列島は世界でも名立たる火山地帯として知られています。日本列島は北から南まで火山が連続する火山 […]

日本列島の誕生と縄文文化の謎|大陸との決別が日本人の『本質』と豊かな食糧資源を創った理由【眠れなくなるほど面白い図解 日本史】
草花の植生や動物・鳥類・昆虫、菌類まで一変!日本列島誕生の秘密とは 日本列島の誕生【日本史】 地理的、地政学的条件は、その国の歴史と文化を規定すると言われています。それは単に攻めたり、攻められたりする出来事だけでなく、そ […]

源頼朝vs木曾義仲|平家打倒で明暗を分けたのは『政治力』?後白河法皇と大義名分の正体【日本史】
平清盛が後白河法皇を退位させ、安徳天皇を即位させたことで爆発した不満とは 驕(おど)れる者は久しからず。治承四年(一一八〇)、平清盛が後白河法皇を退位させ、孫の安徳天皇を即位させると地方武士団や京の公卿、寺社の間で不満が […]

平清盛はなぜ武士の頂点に立てたのか?白河法皇の後ろ盾と平氏が滅亡した決定的な理由【日本史】
白河法王の後ろ盾を得て出世コースに乗った平清盛の最後とは 保元・平治の乱で武士団の対立勢力は姿を消し、後に残されたのは平清盛を棟梁とする平氏のみでした。その結果、当然のことながら貴族たちも武士団を頼みにして争うことはでき […]

白河上皇の源平操縦術|源義家を抑え、伊勢平氏を抜擢した『一石二鳥』の院政政治とは【日本史】
白河上皇が採用した源義家と平正盛を操るアメとムチの懐柔策とは 貴族が荘園に依存するようになって一世紀を過ぎると、荘園の本所領家になるのは貴族の家格(かかく)になってきました。地方の領主らも中央の貴族寺社に保護を求めながら […]

後三条天皇から院政の始まりへ|藤原氏を排した『新政』と白河上皇が築いた第三の権力【日本史】
白河天皇が突然、上皇となり「北面の武士」を設置した理由 藤原道長の子、頼通(よりみち)の時代に移り、初めて摂政・関白を外戚としない天皇が出現します。後三条天皇です。藤原氏を外戚としない天皇は宇多天皇以来、実に百七十年振り […]

藤原清衡と中尊寺金色堂|戦乱を乗り越え平泉に築いた『黄金の独立王国』の歴史【日本史】
藤原清衡が建てた中尊寺金色堂が平泉文化が黄金文化であったことを象徴する理由 後三年の役で勝ち残った藤原清衡(きよひら)は、陸奥国と出羽国、奥羽二カ国を統合する主権者となりました。早速、安倍時代、衣川(ころもがわ)関があっ […]

前九年・後三年の役と源氏の東国進出|源義家の戦いから奥州藤原氏の誕生まで【日本史】
朝廷が源頼義を陸奥守に任命した理由 平安末期、成長した武士団は「源・平・藤」の三大ブランドに集約されます。中でも一頭抜きん出たのが清和源氏。摂関家の「侍」になり、上総国で発生した「平忠常の乱」を平定したのが関東進出の始ま […]

藤原道長は「人材育成」の天才だった?望月の歌と紫式部・晴明を見出した選美眼【日本史】
藤原道長が紫式部や小野道風など多くの人材を見出し育て上げられた理由 長徳二年(九九六)七月、右大臣藤原道長は正二位左大臣に昇進。臣下最高位に就いたことで、摂関家、藤原一族の勢力争いは終わり、道長の一人天下となります。 そ […]