眠れなくなるほど面白い 図解 日本史

歴史は「流れ」がわかると面白いほどよくわかる! 日本列島の誕生から文明の発達、集落から国づくりへ、貴族社会から武家の台頭と下剋上、鎌倉幕府と室町幕府、織豊時代と江戸幕府、幕末の動乱から明治維新を経て近代国家への道、帝国主義と世界大戦の時代、新しい世界秩序へーー日本の通史を「まるごと図解」解説! 異説や日本史の謎に迫るコラムも充実。

日本の火山崇拝と山岳信仰のルーツ|古代ピラミッドやストーンサークルに秘められた意味【眠れなくなるほど面白い図解 日本史】

日本では半自然/半人工のピラミッドやストーンサークルが多数見られる理由 火山の崇拝【日本史】 環太平洋諸国諸地域、とりわけ、日本列島は世界でも名立たる火山地帯として知られています。日本列島は北から南まで火山が連続する火山 […]

日本列島の誕生と縄文文化の謎|大陸との決別が日本人の『本質』と豊かな食糧資源を創った理由【眠れなくなるほど面白い図解 日本史】

草花の植生や動物・鳥類・昆虫、菌類まで一変!日本列島誕生の秘密とは 日本列島の誕生【日本史】 地理的、地政学的条件は、その国の歴史と文化を規定すると言われています。それは単に攻めたり、攻められたりする出来事だけでなく、そ […]

源頼朝vs木曾義仲|平家打倒で明暗を分けたのは『政治力』?後白河法皇と大義名分の正体【日本史】

平清盛が後白河法皇を退位させ、安徳天皇を即位させたことで爆発した不満とは 驕(おど)れる者は久しからず。治承四年(一一八〇)、平清盛が後白河法皇を退位させ、孫の安徳天皇を即位させると地方武士団や京の公卿、寺社の間で不満が […]

平清盛はなぜ武士の頂点に立てたのか?白河法皇の後ろ盾と平氏が滅亡した決定的な理由【日本史】

白河法王の後ろ盾を得て出世コースに乗った平清盛の最後とは 保元・平治の乱で武士団の対立勢力は姿を消し、後に残されたのは平清盛を棟梁とする平氏のみでした。その結果、当然のことながら貴族たちも武士団を頼みにして争うことはでき […]

白河上皇の源平操縦術|源義家を抑え、伊勢平氏を抜擢した『一石二鳥』の院政政治とは【日本史】

白河上皇が採用した源義家と平正盛を操るアメとムチの懐柔策とは 貴族が荘園に依存するようになって一世紀を過ぎると、荘園の本所領家になるのは貴族の家格(かかく)になってきました。地方の領主らも中央の貴族寺社に保護を求めながら […]

後三条天皇から院政の始まりへ|藤原氏を排した『新政』と白河上皇が築いた第三の権力【日本史】

白河天皇が突然、上皇となり「北面の武士」を設置した理由 藤原道長の子、頼通(よりみち)の時代に移り、初めて摂政・関白を外戚としない天皇が出現します。後三条天皇です。藤原氏を外戚としない天皇は宇多天皇以来、実に百七十年振り […]

藤原清衡と中尊寺金色堂|戦乱を乗り越え平泉に築いた『黄金の独立王国』の歴史【日本史】

藤原清衡が建てた中尊寺金色堂が平泉文化が黄金文化であったことを象徴する理由 後三年の役で勝ち残った藤原清衡(きよひら)は、陸奥国と出羽国、奥羽二カ国を統合する主権者となりました。早速、安倍時代、衣川(ころもがわ)関があっ […]

前九年・後三年の役と源氏の東国進出|源義家の戦いから奥州藤原氏の誕生まで【日本史】

朝廷が源頼義を陸奥守に任命した理由 平安末期、成長した武士団は「源・平・藤」の三大ブランドに集約されます。中でも一頭抜きん出たのが清和源氏。摂関家の「侍」になり、上総国で発生した「平忠常の乱」を平定したのが関東進出の始ま […]

藤原道長は「人材育成」の天才だった?望月の歌と紫式部・晴明を見出した選美眼【日本史】

藤原道長が紫式部や小野道風など多くの人材を見出し育て上げられた理由 長徳二年(九九六)七月、右大臣藤原道長は正二位左大臣に昇進。臣下最高位に就いたことで、摂関家、藤原一族の勢力争いは終わり、道長の一人天下となります。 そ […]

武士のルーツを解明!平将門・藤原純友の乱から源平台頭までの歴史ドキュメント【日本史】

平将門と藤原純友が武士のルーツとなった理由 受領として地方に下った下級官人たちは、畿内はもちろん、日本各地に拡散して土着し、それぞれ武装勢力に成長します。律令政府の命令に従わず、独自の地方権力として振舞うようになります。 […]

律令制度はなぜ崩壊した?荘園を武器に藤原氏が摂関政治を確立した裏舞台【日本史】

藤原一族が天皇の外戚となり、摂関政治を始めるまで勢力を拡大した理由 律令制度は唐の律令と同じではありません。難しすぎて現実には適用されず、現場の判断と裁量に任されました。 すると受領(ずりょう)として地方に下った下級貴族 […]

最澄と空海の遣唐使|天台・真言の誕生と日本を変えた「密教芸術」の衝撃【日本史】

天台/真言両宗を宣伝する有力な手段となった最澄と空海が熱心に集めたモノとは 延暦(えんりゃく)二十三年(八〇四)、桓武(かんむ)天皇は遣唐使一行に最澄と空海を加えました。唐風化を急ぐ天皇と貴族たちにとって、これが予想以上 […]
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