眠れなくなるほど面白い 図解 日本史

歴史は「流れ」がわかると面白いほどよくわかる! 日本列島の誕生から文明の発達、集落から国づくりへ、貴族社会から武家の台頭と下剋上、鎌倉幕府と室町幕府、織豊時代と江戸幕府、幕末の動乱から明治維新を経て近代国家への道、帝国主義と世界大戦の時代、新しい世界秩序へーー日本の通史を「まるごと図解」解説! 異説や日本史の謎に迫るコラムも充実。

後三条天皇から院政の始まりへ|藤原氏を排した『新政』と白河上皇が築いた第三の権力【日本史】

白河天皇が突然、上皇となり「北面の武士」を設置した理由 藤原道長の子、頼通(よりみち)の時代に移り、初めて摂政・関白を外戚としない天皇が出現します。後三条天皇です。藤原氏を外戚としない天皇は宇多天皇以来、実に百七十年振り […]

藤原清衡と中尊寺金色堂|戦乱を乗り越え平泉に築いた『黄金の独立王国』の歴史【日本史】

藤原清衡が建てた中尊寺金色堂が平泉文化が黄金文化であったことを象徴する理由 後三年の役で勝ち残った藤原清衡(きよひら)は、陸奥国と出羽国、奥羽二カ国を統合する主権者となりました。早速、安倍時代、衣川(ころもがわ)関があっ […]

前九年・後三年の役と源氏の東国進出|源義家の戦いから奥州藤原氏の誕生まで【日本史】

朝廷が源頼義を陸奥守に任命した理由 平安末期、成長した武士団は「源・平・藤」の三大ブランドに集約されます。中でも一頭抜きん出たのが清和源氏。摂関家の「侍」になり、上総国で発生した「平忠常の乱」を平定したのが関東進出の始ま […]

藤原道長は「人材育成」の天才だった?望月の歌と紫式部・晴明を見出した選美眼【日本史】

藤原道長が紫式部や小野道風など多くの人材を見出し育て上げられた理由 長徳二年(九九六)七月、右大臣藤原道長は正二位左大臣に昇進。臣下最高位に就いたことで、摂関家、藤原一族の勢力争いは終わり、道長の一人天下となります。 そ […]

武士のルーツを解明!平将門・藤原純友の乱から源平台頭までの歴史ドキュメント【日本史】

平将門と藤原純友が武士のルーツとなった理由 受領として地方に下った下級官人たちは、畿内はもちろん、日本各地に拡散して土着し、それぞれ武装勢力に成長します。律令政府の命令に従わず、独自の地方権力として振舞うようになります。 […]

律令制度はなぜ崩壊した?荘園を武器に藤原氏が摂関政治を確立した裏舞台【日本史】

藤原一族が天皇の外戚となり、摂関政治を始めるまで勢力を拡大した理由 律令制度は唐の律令と同じではありません。難しすぎて現実には適用されず、現場の判断と裁量に任されました。 すると受領(ずりょう)として地方に下った下級貴族 […]

最澄と空海の遣唐使|天台・真言の誕生と日本を変えた「密教芸術」の衝撃【日本史】

天台/真言両宗を宣伝する有力な手段となった最澄と空海が熱心に集めたモノとは 延暦(えんりゃく)二十三年(八〇四)、桓武(かんむ)天皇は遣唐使一行に最澄と空海を加えました。唐風化を急ぐ天皇と貴族たちにとって、これが予想以上 […]

桓武天皇が平安京を建てた真の理由|「簡易の化」から坂上田村麻呂の東北平定へ【日本史】

平安京へ遷都し、坂上田村麻呂と共に桓武天皇がなし得た功績とは 桓武天皇は遅咲きの花でした。長い間、父光仁天皇の皇太子として施政に深く関与し、天応元年(七八一)四月、齢四十五歳にして第五十代天皇として即位しました。 施政方 […]

聖武天皇はなぜ大仏を造ったのか?藤原氏に抑え込まれた苦悩と「大仏建立」に賭けた悲願【日本史】

聖武天皇が大仏建立を懇願した切実な理由 聖武(しょうむ)天皇代、天平十五年(七四三)のこと。天皇悲願の詔(みことのり)を発します。前代未聞の大プロジェクトである大仏造立を国家事業として取り組むことを呼び掛ける宣言です。 […]

元明天皇が平城遷都を決めた本当の理由|遣唐使・粟田真人が伝えた「唐の威容」と日本の決意【日本史】

元明天皇が藤原京を離れ、平城遷都をした本当の理由 和銅元年(七○八) 正月のこと。 武蔵国から献上された和銅を記念して年号を改めた元明天皇は、住み慣れた藤原京を離れ、大和盆地北端に移転する決定を下します。いわゆる平城遷都 […]

天武天皇が伊勢神宮を拠点とし『記紀』を編纂した理由|日本独自の国体を築いた国家戦略【日本史】

天武天皇が伊勢神宮を東国経営の拠点とし『古事記』『日本書紀』を纏めた理由 天武天皇は巨星天智天皇が病に倒れた時、自ら野に下り、挙兵して勝利した実力者であり、思う存分に辣腕(らつわん)を振るいました。 その際、国威発揚のた […]

壬申の乱と天武天皇|大海人皇子が『大君』として確立した究極の天皇親政時代とは【日本史】

壬申の乱に勝利した大海人皇子が天武天皇となり始めた天皇親政時代とは 大化改新以来、三十年近く帝位に在った天智天皇(中大兄皇子)が病に倒れた時、大海人皇子(おおあまのおうじ)は「皇位は倭姫(やまとひめ)皇后に譲り、政治は大 […]
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