眠れなくなるほど面白い 図解 日本史
歴史は「流れ」がわかると面白いほどよくわかる! 日本列島の誕生から文明の発達、集落から国づくりへ、貴族社会から武家の台頭と下剋上、鎌倉幕府と室町幕府、織豊時代と江戸幕府、幕末の動乱から明治維新を経て近代国家への道、帝国主義と世界大戦の時代、新しい世界秩序へーー日本の通史を「まるごと図解」解説! 異説や日本史の謎に迫るコラムも充実。

桓武天皇が平安京を建てた真の理由|「簡易の化」から坂上田村麻呂の東北平定へ【日本史】
平安京へ遷都し、坂上田村麻呂と共に桓武天皇がなし得た功績とは 桓武天皇は遅咲きの花でした。長い間、父光仁天皇の皇太子として施政に深く関与し、天応元年(七八一)四月、齢四十五歳にして第五十代天皇として即位しました。 施政方 […]

聖武天皇はなぜ大仏を造ったのか?藤原氏に抑え込まれた苦悩と「大仏建立」に賭けた悲願【日本史】
聖武天皇が大仏建立を懇願した切実な理由 聖武(しょうむ)天皇代、天平十五年(七四三)のこと。天皇悲願の詔(みことのり)を発します。前代未聞の大プロジェクトである大仏造立を国家事業として取り組むことを呼び掛ける宣言です。 […]

元明天皇が平城遷都を決めた本当の理由|遣唐使・粟田真人が伝えた「唐の威容」と日本の決意【日本史】
元明天皇が藤原京を離れ、平城遷都をした本当の理由 和銅元年(七○八) 正月のこと。 武蔵国から献上された和銅を記念して年号を改めた元明天皇は、住み慣れた藤原京を離れ、大和盆地北端に移転する決定を下します。いわゆる平城遷都 […]

天武天皇が伊勢神宮を拠点とし『記紀』を編纂した理由|日本独自の国体を築いた国家戦略【日本史】
天武天皇が伊勢神宮を東国経営の拠点とし『古事記』『日本書紀』を纏めた理由 天武天皇は巨星天智天皇が病に倒れた時、自ら野に下り、挙兵して勝利した実力者であり、思う存分に辣腕(らつわん)を振るいました。 その際、国威発揚のた […]

壬申の乱と天武天皇|大海人皇子が『大君』として確立した究極の天皇親政時代とは【日本史】
壬申の乱に勝利した大海人皇子が天武天皇となり始めた天皇親政時代とは 大化改新以来、三十年近く帝位に在った天智天皇(中大兄皇子)が病に倒れた時、大海人皇子(おおあまのおうじ)は「皇位は倭姫(やまとひめ)皇后に譲り、政治は大 […]

大化の改新はどこまで真実か?蘇我入鹿暗殺の衝撃と『天皇中心』の国家建設に潜む謎【日本史】
天皇の目前で中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害!大化改新の真偽とは 第三十五代皇極天皇四年、天皇家と度々衝突を繰り返す蘇我蝦夷(そがのえみし)・入鹿(いるか) 父子に対し、天皇中心の律令国家建設を目指す中大兄皇子(な […]

なぜ推古天皇から女帝が集中したのか?五人七代の出現と渡来人・新旧勢力の交代劇【日本史】
在位三十六年の推古天皇から五人七代の女帝が出現した理由 欽明天皇の死後、敏達(びだつ)、用明(ようめい)、崇峻(すしゅん)各天皇が皇位を継承しますが、崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺されると順当な皇位継承者があったにも関わらず、 […]

聖徳太子が起ち上がった理由とは?仏教伝来と崇仏論争の裏に隠された『国家の危機』の正体【日本史】
聖徳太子が天皇中心の国造りに起ち上がった理由とは 継体(けいたい)天皇の嫡男、第二十九代欽明(きんめい)天皇代のこと。百済(くだら)聖明王が釈迦仏一体、経論若干巻を献上し、仏像礼拝の功徳を称えました。 すると天皇は「これ […]

応神天皇と渡来人の知られざる関係|巨大古墳と新技術をもたらした秦氏・阿知使主の功績【日本史】
新技術導入の担い手となる応神天皇を支えた渡来人とは 第十五代応神(おうじん) 天皇代、四世紀〜五世紀の間のこと。大和朝廷は大和から河内に勢力範囲を拡大。本格的な中央政権として地方政権を圧倒するようになります。その力を象徴 […]

ヤマトタケルの正体は英雄の集合体?日本武尊伝説に隠された『タケル』たちの悲劇【日本史】
ヤマトタケルは一人ではない!?大和朝廷創業期に生田存在した若きプリンスたち 第十二代景行天皇代の事。天皇が九州南部の豪族熊襲(くまそ)を征伐し、大和に戻ると熊襲が再び背いたので日本武尊(やまとたける)を派遣。熊襲の長であ […]

崇神天皇と三輪山のミステリー|なぜ大和の地に『出雲の神』が祀られたのか?朝廷ルーツの謎に迫る【日本史】
三輪山に出雲の神様、大国主命を祀ることが不自然な理由 第十代崇神(すじん)天皇代の事。疫病が流行して人口の半ばを失ったため、天皇が祭祀で疫病を治めようとしたところ、大物主大神(おおものぬしのみこと)(大国主命)が夢枕に現 […]

出雲大社のご神体はなぜ西を向く?荒神谷遺跡の謎と再構築される古代出雲文化論【日本史】
出雲大社のご神体は西方向、すなわち北九州を向いている理由 従来より、出雲では銅剣銅矛(どうほこ)中心の九州文化と銅鐸(どうたく)中心の大和文化が混在していたのですが、ある日、突然終焉したと推測されています。荒神谷(こうじ […]