プロ野球妄想年俸
本サイトや雑誌「がっつり!プロ野球」(日本文芸社)でも好評を博した『球界のレジェンド、今なら年俸はいくら?』。昭和のレジェンド選手が、もし令和の現代プロ野球界でプレーしていたら、一体年俸はいかほどか――。そんな“妄想”だけで綴る当企画。今回は阪神タイガースの日本一を祝うという意味で「ミスタータイガース」こと掛布雅之の現役時代を振り返りつつ、その「年俸」を妄想してみよう!
プロ3年目で王貞治に次ぐリーグ2位のOPSを叩き出した掛布雅之!
⚫︎掛布雅之/阪神タイガース
「ミスタータイガース」として1970~1980年代の阪神を支えた掛布雅之。しかし、プロ入り時の評価は決して高くなく、1973年ドラフト6位で指名を受け、プロ入りしている。習志野高校時代には2年時に「4番ショート」で夏の甲子園に出場するなど、全国の舞台も経験していたが、いわゆる「プロ注目」「ドラフトの目玉」という選手ではなかった。
ドラフトを目前に控えた1973年秋、掛布雅之の実父や叔父がツテを頼ってヤクルトや阪神に指名を打診。しかし、ヤクルトからは指名を固辞され、阪神はドラフト直前の11月に実質的な入団テストを実施。ここで球団首脳陣の目に留まり、晴れて指名を受けたという経緯がある。
現在で言えば、本指名ではなく「育成指名」だったのは間違いないだろう。球団から請われて、というよりは自らを積極的に売り込んでのプロ入り。ちなみに、当時の契約金は300万円、年俸は84万円(推定)だったと言われているが、現在であれば契約金2000万円、年俸400万円が妥当なラインだろうか。育成入団であれば本来契約金はなく、支度金として数百万円が支払われる程度だが、この年のドラフトで阪神は指名した7人のうち実に4人から入団を拒否されている。当時は指名されながらプロ入りを拒否する選手は珍しくなかったが、同期入団がわずか3人しかいないこと、育成ドラフトそのものが存在しなかったことなども加味させてもらった。
なお、この妄想契約金&年俸額は、昨年ドラフト5位で指名され、阪神に入団した同じ高卒野手の戸井零士(契約金3000万円、年俸500万円)を参考に算出している。
事実上の“育成契約”で阪神に入団した掛布雅之だが、プロ1年目から思わぬ幸運でチャンスをつかむ。3月21日のオープン戦で当時ショートのレギュラーだった藤田平が自身の結婚式のために欠場。その代役として「7番ショート」で先発すると、太平洋(現西武)のエース・東尾修から2安打をマーク。さらに3日後にはこれまたレギュラーの野田征稔が家庭の事情で帰郷したことから「8番サード」で起用されると、4打数4安打。こういった活躍もあって、シーズンに入っても同期入団で中央大からドラフト1位で入団した佐野仙好とサードのレギュラー争いを展開。高卒1年目にして一軍公式戦に83試合出場、3本塁打を放つ上々のシーズンを送った。
気になるプロ2年目の妄想年俸だが、一軍に定着したとはいえ、数字自体はまだまだレギュラークラスとは言えず、ここは期待値も込めて倍増の800万円とさせていただく。
チームからも大きな期待を寄せられて迎えたプロ2年目。掛布雅之はさらに飛躍のシーズンを過ごす。監督に就任した吉田義男にサードのレギュラーとして抜擢され、一軍公式戦106試合に出場。自身初の2ケタとなる11本塁打をマークした。現代のプロ野球界では高卒2年目以内に2ケタ本塁打を放ったケースはかなりレアで、掛布雅之以降で見ても7人しかいない。ちなみに直近は紅林弘太郎(オリックス)が2021年にマークした10本。紅林弘太郎はその年のオフに推定年俸2880万円で契約を更改しているため、掛布雅之の3年目妄想年俸もこれを参考にして3000万円と設定させてもらった。
そしてプロ3年目。掛布雅之は21歳の若さにして、リーグを代表する打者へと覚醒する。不動のサードとして自身初の規定打席に到達。打率.325(リーグ5位)、27本塁打(リーグ9位)、打点83(リーグ8位)と、打撃三部門すべてでリーグトップ10入り。さらに、特筆すべきは出塁率+長打率で算出するOPSだ。掛布雅之はこのシーズン、1.015をマーク。リーグトップは王貞治(巨人)の1.205という破格のモノだったが、掛布雅之は王に次ぐリーグ2位。当時はOPSという概念そのものがなかったが、プロ3年目でのOPS1.000超えは快挙でしかない。
当然ながら、妄想年俸も一気に跳ね上がるはず。本稿では3000万円から3倍増の9000万円とさせてもらったが、これは正直言って最低ライン。1億超えでもおかしくなかったはずだ。
プロ3年目で一流選手の仲間入りを果たした掛布雅之――。ここから、「ミスタータイガース」として文字通りチームの「顔」となっていく。
公開日:2023.12.19