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まさかの戦力外から驚きの転身。元埼玉西武ライオンズ投手、野田昇吾が「プロ」にこだわる理由

Text:花田雪

 8月某日、Zoom取材の画面に現れた野田昇吾の顔は、プロ野球選手としてプレーした昨年とはまるで別人だった。
 あごのラインは「痩せこけた」と言っていいほどシャープになり、肩回りの筋肉も落ちたように見える。
画面には肩から上しか映っていないが、あきらかにひと回りもふた回りも小さくなっており、その姿は、とても「元プロ野球選手」とは思えない。
 筆者は野田本人と直接の面識はなかったが、南郷での春季キャンプ取材やメットライフドームで現役時代の投球は見ていたので、そのあまりの変貌ぶりに驚くしかなかった。
「昔からの知り合いにも気付かれないことがありますよ」
 野田本人も、自身の「変化」を笑いながら話してくれた。

あと1日……からの、
非情の戦力外通告

 2015年ドラフト3位で埼玉西武ライオンズに入団した野田は、166cmと小柄な体躯ながらそれを感じさせない速球を武器に1年目から一軍のリリーフとして活躍。2018年には58試合に登板して優勝に貢献するなど、プロ野球選手として順調にキャリアを積んでいた。
 しかし、強みだったはずの対左打者の被打率悪化もあり、2019年は23試合、2020年は3試合と登板数が激減。同年限りで戦力外通告を受け、現役を引退した。

 そんな野田のボートレーサー養成所合格が報じられたのは今年7月。現役引退からわずか半年あまりでの、電撃的な転向表明だった。

 「別人」へと変貌した急激な減量は、ボートレーサーになるためのものだ。現在の体重は約52kg。半年間で実に23kgの減量に成功したという。

 1年前は、まさか自身がボートレーサー転向を目指すなど、考えてもいなかった。シーズン3試合の登板に終わったとはいえ、翌シーズンに向けて「手ごたえ」も感じていた。コーチとも課題を話し合いながら、シーズン終了後には若手中心のフェニックス・リーグにも参加。しかし、ここから運命のいたずらが野田を襲う。リーグ開幕3日目に、チームから突然の離脱指令。「もしかして……」という不安もあったが、秋季練習も迫っており、チーム事情での帰京だと自身を納得させた。

 ただ、それでも不安は消えなかった。
 周囲から「戦力外通告の連絡は、夕方6時前までには来る」という情報を聞いていたので、毎日その時間が来るまではどこか落ち着かない。
 そして迎えた、11月13日。翌日からは秋季練習が始まる。参加メンバーに選ばれれば、事実上、来季も戦力として考えられているということだ。
 不安を抱えながら、気づけば時計の針は「デッドライン」の午後6時を回っていた。

「これで、『来季も西武でプレーできる』と少しだけホッとしました」

 しかし、安堵もつかの間、野田の携帯電話が鳴る――。

 あと1日、持ちこたえれば2021年も西武でプレーできるはずだった。

 しかし、戦力外通告を受けた野田は、すぐさま12球団合同トライアウトに照準を当てる。

「まだ、やめるわけにはいかない」

 手ごたえもある。やれる自信もある。
 トライアウトで結果を残し、他球団からのオファーを待つ道を選んだのだ。
 しかし同時に「もし、どこからもオファーがなかったら……」という不安も脳裏から離れない。そんな時頭に浮かんだのが「ボートレーサーになる」という思いだ。
 もともと、ボートレースが好きで、親交のあるレーサーもいる。自分にとっては「身近」なスポーツだった。

「もし、ダメだったら、ボートレーサーを目指そう」

 秘かに決意し、挑んだトライアウト。
 打者3人に対し、被安打1。直球の最速は138kmを記録した。
「自分の投球は出来たと思ったので、あとは待つだけでした」
 トライアウト後、各球団からオファーがある場合は、1週間以内には連絡が来ると言われている。
 しかし、その1週間が経っても、野田のもとにNPBからのオファーは届かなかった。
 「ダメならボートレーサーと決めていたので、トライアウトが終わってすぐに減量も始めました。減量開始時点ではまだNPBでプレーできる可能性も残っていましたけど、試験までの期間を考えると1日もムダには出来なかったんです」

寄付金、1万5000円
「このままでは、終われない」

 本来、プロ野球選手のセカンドキャリアと言えば、指導者や裏方など「野球にかかわる仕事」を希望する者が多い。野田はプロでのキャリアこそ短いが、一軍で結果も残し、侍ジャパンに選出された経験もある。プロでの実績を考えれば「野球界」に残ることも難しくなかったはずだ。

 それでも、野球とは全く関係ない道を選んだのは、彼が「野球を続けること」よりも「プロのスポーツ選手でい続けること」を求めたからだ。

 理由は、いくつかある。
 ひとつは、2020年から始めた小児医療センター内の家族宿泊施設・さいたまハウスへの寄付活動だ。幼いころに川崎病を患った野田は、プロ入り当初から「子どもたちのために、何か社会貢献がしたい」と常々思っていた。
 そしてプロでも実績を挙げ、満を持して「1登板につき5000円の寄付」という活動を始めたその年、一軍登板3試合に終わる。

2020年の寄付金額は、1万5000円――。

「悔しいというより、情けないという気持ちが強かったです。それこそ、50~60試合に登板することを前提に設定した額だったので、ホント、何もしてあげられなかったなと……。このままでは終われないという気持ちになりました」

 野田自身は2020年より以前から、公にはせずとも社会貢献活動を行ってきた。しかし、プロ野球選手としてそういった活動を公表することが、寄付額以上に世間の関心を集めることを肌で感じてもいた。

「寄付自体は、野球をやめてもできるかもしれません。でも、『プロスポーツ選手がする』事の意義ってすごく大きいんです。だからこそ、僕自身はまだ『プロ』にこだわりたかった。言い方はちょっと悪いかもしれないけど、ボートレーサーになって、プロ野球選手時代よりももっと稼ぎたい。そうすれば、もっと大きな額の寄付もできるし、そういう活動をより多くの人に知ってもらうことができる」

「プロスポーツ選手」を諦めきれなかった理由は、ほかにもある。

 通常、プロ野球を退団する選手はオフに行われるファン感謝デーで球場に来た観客を相手に直接お別れを言うことができる。しかし、昨季はコロナ禍でその機会すらなかった。

「SNSで現役引退を報告しましたけど、今まで応援してくれたファンの方に、自分の声で直接お礼を言うことができなかった。自分の中で、しっかりと区切りがつけられていない部分がある。まだ、お礼も、恩返しも出来ていないんです」

 幼少期に川崎病を患い、自分を救ってくれた医療関係者、そして、プロで応援し続けてくれたファン。

 自分を支えてくれた人たちに、「プロスポーツ選手」としてしっかりとした形で恩返しがしたい――。

 順当にいけば来秋、養成所を卒業し、「プロ」のボートレーサーとしてデビューを飾る。

 野田昇吾、28歳。

 第二のプロスポーツ選手人生のスタートまで、あと1年。その号砲が、待ち遠しい。

(写真は本人提供)