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周瑜、後事を魯粛に託し病没す【三国志】

Text:澄田 夢久

蜀の劉備、盤石な体制を整える

曹操との赤壁の攻防は、諸葛亮の鬼謀の術があったとはいえ、周瑜、黄蓋の果敢な戦いによって勝利を得た。一方の孫権は合肥に攻め上がり、曹操軍と対決していたが敗北。宋謙、太史慈を失うことになる。」

劉備は、「赤壁の戦い」のあと、伊籍を文官として登用。彼の推挙で荊州の馬良、馬謖の兄弟も参加に加えた。劉備はまた、荊州を安定的に統治するために馬良の献策を採り、荊州の南方、零陵の劉度、桂陽の趙範、武陵の金旋、長沙の韓玄を滅ぼした。この戦いでは、韓玄配下の老将・黄忠魏延が劉備に降る。病がちだった劉表の息子・劉琦が死んだのもこのころである。

周瑜にとっては、呉による天下統一が悲願であった。戦略は、周瑜自ら益州の劉璋を討滅し、馬騰の息子の馬超と同盟して長安に進撃。孫権には江東から呉軍を率いて許都に攻め上がらせ、曹操を挟撃するというものだった。

手始めに、魯粛が劉琦の弔問を理由に劉備のもとを訪い、荊州の帰趨をめぐって喋々しばし。諸葛亮は、「蜀の劉璋を屈服させたあとに荊州を渡す。それまで借り受けたい」との瞞着で魯粛を説伏してしまう。

ところが、その矢先の建安十五年(210)十二月、周瑜は三十六歳で病没する。周瑜が没する前、孫権は劉備の妻・甘夫人が逝去したことで、異母妹・孫夫人を劉備の後妻として嫁がせていた。政略婚だったが、睦まじい仲となる。

周瑜から後事を託されたのは魯粛。魯粛は、「天下三分の計」を模索する諸葛亮に同調し、とりあえず荊州を劉備に貸し与えることを孫権に献言、許諾を得た。

劉備は建安十六年(211)五月、魯粛と諸葛亮の勧めで、鳳雛こと龐統を軍師として抱えた。同年、曹操が、涼州の馬騰を密籌をもって許都に誘おびき出し、殺害していた。そのため、嫡男の馬超が、韓遂と組んで戦いを挑む(潼関の戦い)。曹操は、黄河と渭水が合流する潼関を曹仁に守らせ、自ら殿軍となって、潼関から北へ渡河しようとした。そこを馬超・韓遂の連合軍に狙われ、危機に陥る。救ったのは許褚だった。

許褚と馬超は一騎打ちに武勇を賭ける。許褚は虎侯と呼ばれた剛勇であり、馬超も曹操をして豪傑と呼ばせしめた偉丈夫だ。許褚の得物は剣、馬超は槍。二人は何十合も激闘したが勝負はつかない。

そこで曹操は、謀によって事態の打破を狙った。韓遂と馬超に亀裂を入れる、賈詡の「離間の計」だ。これがはまって馬超・韓遂の戦陣は乱れ、戦いは曹操に凱歌が上がる。進退窮した馬超は、張魯のもとへ逃げ込み、逼ひっ塞そくを余儀なくされるのである。

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 三国志』
著:澄田 夢久 監修:渡邉 義浩

シリーズ累計発行部数160万部突破の人気シリーズより、「三国志」について分かりやすく解説した一冊。魏・蜀・呉、三国の興亡を描いた『三国志』には、「桃園の誓い」「三顧の礼」「出師の表」「泣いて馬謖を斬る」など心打つ名場面、また「水魚の交わり」「苦肉の策」「背水の陣」「髀肉の嘆」など名言や現代にも通じる格言も数多く登場する。また、曹操、劉備、孫権、孔明、関羽、張飛、趙雲、周瑜、司馬懿など個性豊かで魅力的な登場人物に加え、官渡の戦い、赤壁の戦い、五丈原の戦い等、歴史上重要な合戦も多い。英雄たちの激闘の系譜、名場面・名言が図解でコンパクトにすっきりわかる『三国志』の決定版!

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