性的嗜好と信仰を優先し、務めを放棄
細川氏は足利氏の一門。政元(まさもと)は東軍総大将を務めた細川勝元の嫡男(ちゃくなん)で、惣領家(そうりょうけ)である細川京兆家(けいちょうけ)の家督をも継承した。
応仁・文明の乱は終わっていたが、一度弛(ゆる)んだタガを元通りにするのは不可能に近かった。政元自身も10代将軍足利義材(よしき)「義稙(よしたね)」の南近江(おうみ)遠征中に政変を起こし、義材の従兄弟義澄(よしずみ)を11代将軍に擁立することで細川京兆家による専制体制を築き上げ、「天下無双之権威」と称されもした。しかし義材の身柄を確保することができず、義澄との関係もこじれ、家臣団の統制に緩みが生じた挙句、ついには凶刃に斃(たお)れ、細川京兆家の分裂さえ招くこととなった。
政元が当時の政局の中心にいたことは間違いないが、政元は信仰と性的嗜好の両面において、他に類を見ない強力な個性を有していた。男色と修験道にのめり込むあまり、妻帯どころか女色をも完全に断った上、修験道の一大拠点である奥州白河(おうしゅうしらかわ)へ巡礼に赴こうとした。
道中の危険もさることながら、仮に難を避けられたとしても、京都では最短でも数カ月、権力の空白が生ずる。代理が務まる者もいないなか、野心逞(たくま)しい近国の者が兵を整えて上洛し、将軍の首を挿(す)げ替えるには十分な時間であった。
政元は女色を避けているから実子もいない。公家の九条家(くじょうけ)と同族の阿波(あわ)細川家から養子を迎えていたが、どちらを後継者にするか明言していなかったため、政元の長期の不在は内戦を誘発しかねず、当然が巡実ず終なら白河への礼は現せにわった。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 戦国武将の話』
著者:小和田哲男 日本文芸社刊
執筆者プロフィール
1944年、静岡市生まれ。静岡大学名誉教授。文学博士。公益財団法人日本城郭協会理事長。専門は日本中世史、特に戦国時代史で、戦国時代史研究の第一人者として知られている。NHK総合テレビ「歴史秘話ヒストリア」およびNHK Eテレ「知恵泉」などにも出演、さまざまなNHK大河ドラマの時代考証を担当している。
「織田信長の桶狭間の戦いの勝利は、奇襲ではなく、徹底した情報収集と天の恵みのおかげだった」「徳川家康は自らの意思で正室と嫡男を殺した」「毛利元就の遺訓、三本の矢は後世の創作」従来の通説をくつがえす戦国史の新説をたっぷり検証!人気戦国武将52人の意外な素顔と戦いがわかる!戦乱の世を苛烈に生き抜いた、個性的で魅力あふれる戦国武将たち。信長、秀吉、家康の三英傑をはじめ、北条早雲、今川義元、武田信玄、上杉謙信、明智光秀、竹中半兵衛、黒田如水……。日本史に名を刻んだ戦国の武将たちの真実と魅力を、最新研究で徹底解説します。さらに戦国史研究の第一人者、小和田哲男が、先見性、企画力、統率力、実行力、教養、5つのポイントから真の実力を判定。
公開日:2022.08.03