SPORTS COLUMN
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日本ラグビーのレジェンドたち

Text:西沢直

トライへの執着心が身上、吉田義人

100メートルを10秒台で走り抜くスピード、ステップやスワープの巧みさに象徴されるアジリティ(俊敏性)、多少のタックルなら振り切れる足腰の強靱さ、トライに対するエゴイスティックなまでの執着心……これらがひとりのウィングに宿った場合に限り、トライゲッターになる資格が与えられる。そう、吉田義人のように。

もちろん、単に資格が与えられるだけであって、必ずしも誰もが吉田になれるわけではない。スピードにキレを加えたような巧みなプレイ、ここぞという場面でトライをもぎとる力はやはり天性のものだろう。それが吉田の吉田たる所以。世界選抜に3度も選出され、日本が世界に誇るウィングとして語り継がれるのも無理はない。

中学時代に東日本大会で優勝し、秋田工業高では1年時からレギュラーとなり全国制覇。明治大でも1年からレギュラーとして活躍し、4年時には主将として大学選手権に優勝、後半26分の逆転トライは早明戦の名シーンとして語り継がれるだけでなく、90年代明大黄金期の礎を築くトライにもなった。

代表キャップは30。W杯は第2回と第3回に連続出場している。92年のニュージーランド(NZ)ラグビー協会100周年記念試合では、世界選抜の一員としてオールブラックス(NZ代表)とテストマッチで対戦、ダイビングトライを決めて世界に吉田の名をとどろかせた。

日本代表にスピードスター吉田あり。ワールドクラスのウィングとして、吉田の名は今なお世界で語り継がれている。

勇猛果敢な白いヘッドキャップ林 敏之

同志社大在学中から日本代表のロック(LO)に選出され、神戸製鋼では平尾誠二とともに日本選手権7連覇に貢献した林敏之。トレードマークは白いヘッドキャップだ。

30歳のとき、英国オックスフォード大学にラグビー留学し、プロップ(PR)のポジションで大活躍。恐れを知らない当たりと勇猛果敢な突破でインパクトを与え、120年以上の歴史があるオックスフォード大の歴代ベスト15に選出されている。19世紀の有名選手も3人含まれ、第1回W杯を制したオールブラックスの主将でさえ選に漏れるなかでの快挙だった。また、世界選抜やバーバリアンズ(世界各国からの招待選手で編成される変則チーム)にも選出。正真正銘、ワールドクラスのFWだった。

平尾誠二と名コンビ、朽木英次

若狭農林高で県勢初のベスト16、日体大では大学選手権準優勝、トヨタ自動車でついに日本選手権優勝を果たす。

日本代表に初招集されたのは85年。朽木英次、23歳のときだった。以来、平尾誠二とセンターでコンビを組み、不動の右センターとして代表チームに貢献した。代表通算30キャップ。

W杯には第1回大会と第2回大会に連続出場している。特に第1回大会の一次リーグでは、アメリカとイングランドに連敗を喫した後の優勝候補オーストラリア戦で2トライを挙げ、世界から注目された。第2回大会ではジンバブエを破ってW杯初勝利にも貢献。引退後の第4回大会にはテクニカルスタッフとして参加、データ分析を担当していた。

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