SPORTS COLUMN
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日本ラグビー“伝説の名選手”

Text:西沢直

世界が認めた空飛ぶウィング坂田好弘

イン・アンド・アウトに磨きをかけて168センチという小柄な体格ながら、69年にラグビーの本場ニュージーランド(NZ)でトライ王に輝き、07年には世界を代表する名選手「ラグビー・レジェンド」に選出され、12年には東洋人初の国際ラグビー殿堂入りも果たした坂田好弘。

坂田が頭角を現したのは同志社大時代。左ウィング(WTB)にコンバートされるや、社会人王者の近鉄を破り、日本代表にも選出される。卒業後は近鉄に入社。日本選手権を連覇した後の68年、大西鉄之祐監督率いる日本代表のNZ遠征メンバーに選出。ラグビー王国の3歳以下代表オールブラックス・ジュニア相手に4トライを挙げ、23-11で下すという歴史的大金星に貢献した。

翌69年、坂田はNZのカンタベリー大にラグビー留学し、カンタベリー州代表など選出。日本人初のNZ州代表選手権1部リーグ選手として活躍した。坂田の代名詞といえばイン・アンド・アウト(止まってかわして抜く)という技術。NZではこの武器にますます磨きをかけ、面白いように相手を置き去りにしてトライを決めるプレイスタイルから、人はいつしか坂田を「空飛ぶウィング」と呼ぶようになっていた。

史上最強のスタンドオフ 松尾雄治

新日鐵釜石で前人未踏の日本選手権7連覇を達成背中を丸め、俊敏さあふれる柔らかなステップを切り、相手ディフェンスを華麗に切り裂く! 松尾雄治にはそんなイメージがついてまわる。正確無比なキックや相手の度肝を抜くパス、ボールを持った瞬間の判断力や創造力、結果に結びつく決断……まるでラグビーボールを持った皇帝のように試合を支配する。日本ラグビー史上最強のスタンドオフ(SO)といっても過言ではあるまい。

松尾といえば、やはり新日鐵釜石時代の日本選手権7連覇(79~85)だろう。後に平尾誠二擁する神戸製鋼が同じ7連覇(89~95)を達成するが、それまでは前人未踏、奇跡の大記録だった。

V3を決めた対同志社大戦では、堅守を続ける同志社の一瞬の隙をついたSO松尾とCTB森のサインプレーがFW谷藤のトライを呼んだ。V4の対明大戦では、いわゆる「勝利のインターセプト」を決めた。相手のサインを盗んでパスをカットし、40メートル独走トライを決めた。このプレイ直前に明大の選手たちが確認しあった「33」というサインは、なんと松尾が明大時代に考案したサインだったためにインターセプトに成功したと後のインタビューで語っている。
V5の対同志社大戦ではディフェンスの間をすり抜ける「スラロームトライ」を決め、V7前の社会人大会決勝で神戸製鋼相手に伝説の「13人トライ」(選手のべ13人による美しいパスワークからの芸術的トライ)を達成、V7の対同志社大戦では、いわゆる「8の字サイン」(実際には松尾は「2C」と宙に描いたが、それが「8」の字に見えたようだ)からのNo8千田のトライでトドメを刺した。

このV7をもって松尾は引退。最強チームを牽引した最強SOとして、松尾は今なお輝いている。