SPORTS LAB
- スポーツを通じて美しくそして健康に -

  • HOME
  • SPORTS LAB
  • 元ソフトバンク/阪神、現オリックスの飯田優也が見せた3番手投手からの成り上がりで掴んだプロへの道とは!?【東農大オホーツク流プロ野球選手の育て方】

元ソフトバンク/阪神、現オリックスの飯田優也が見せた3番手投手からの成り上がりで掴んだプロへの道とは!?【東農大オホーツク流プロ野球選手の育て方】

Text:樋越勉

3番手投手からの成り上がり

飯田優也 2012年度卒・ソフトバンク(2013-2018)、阪神(2018-2020)、オリックス(2020-)

飯田は高校時代、神戸広陵の3番手投手だった。練習を観に行ったら怒られてベンチ裏で泣いていた。良い投手が2人いたことやヤンチャだったこともあって、あまり使われていなかった。泣いている彼に「どうしたんだ?」聞くと「監督に嫌われている気がします」と拗ねていた。一方で、体は細いけど球持ちが良く、打ちにくいストレートを投げていた。

「そっか、うち来るか」と尋ねると、彼は即答で「プロに行けますか? どうしてもプロに行きたいんです!」と聞いてきた。彼の目力もまた本物だった。

当時の彼を知る関係者から「あんなの獲ったって人間的に厳しい」と言われた。でも「そんなこと言うなよ」と思って、飯田が練習に来た時にそれを伝えた。「プロに行きたいんだろ? 見返してやれ」とも言った。「頑張ります!」と言って入学してきたんだけど、その割には本当にヤンチャで練習はテキトーだった(笑)。でも投げりゃ凄いし、やる時は凄くやる。彼にはそんな漢気があった。

 

彼の学年には陶久(すえひさ)亮太(セガサミー)という投手もおり、右のエースは陶久、飯田が左のエースだった。陶久は、帯広農業高校で野球に打ち込み、ある意味自分の素質にも気が付いていないような純朴な選手だった。飯田とは対照的な優等生で真面目。全く擦れていない高校生だった。

 

彼は北海道の強豪校であるウチの野球部を自ら選んで来てくれた選手だ。その当時の彼は「ここの野球部は誰でも入れるわけではない」と聞いていたらしい。それでもキャンパスの環境や野球部の施設を見学したい気持ちが強く、大学主催の見学会に参加していた。当時、私の部下であった濱屋という職員が、オープンキャンパスに参加していた彼や家族に会い、野球部への入部を強く希望していることを聞き、当日不在で直接会えなかった監督の私にその情報を伝えてくれた。ぜひ彼を見て欲しいと熱心に言われたが、私は「それほど大した選手ではないだろう」とタカをくくっていた。

しかし、その後練習参加し陶久を見た時、そのブルペンでの立ち姿、球筋に驚き、彼の素質に「掘り出し物だ!」と思ったことを覚えている。まだまだ未完成ではあったが、プロにも行けるのではないかとさえ予感させた。こうして飯田と陶久が左右の両輪となり、お互いに意識し合い、切磋琢磨した結果、彼らが3年の秋に神宮大会への切符を手する事になる。統率力のあるキャプテンを中心に、本当にみんなが一丸となって頑張っていた。

当時、連投を強いることもあったが、ここでも飯田の漢気が発揮された。東北福祉大との明治神宮大会の代表決定戦を前に彼の肩はパンク寸前だった。それでも彼は「僕が行きます。大舞台に行かないと僕もプロのスカウトに観てもらえないんで」と答えた。限界に近づいていたにもかかわらず、彼はそう言い切ってくれた。

 

「飯田が行くところまで行ってくれるから、その後はみんなで踏ん張ってこの試合絶対に勝とう」 全員を集めて私はそうハッパをかけた。 言葉では「自分のために」と言っていたが、チームのために投げて、1人でこれまで何試合も投げてくれていた。陶久もそれに負けずに何試合も投げてくれた。

飯田はこの代表決定戦で肩に痛み止めの注射を打ちながら投げ続けた。1勝1敗で迎えた3戦目、彼は5回まで投げ切ってくれた。壮絶な投球だった。知人の医者を呼んで、1回に球場のトイレで痛み止めの注射を左肩にし、3回に再度注射。何とか0点に抑えてくれた。

6回が始まる前のグラウンド整備中に、飯田が私の前に来て「すいません。もう肩がブヨブヨしています」と告げた。痛み止めを何度も射った為にその感覚になっていたのだろう。そこで6回からは陶久に交代。必死に投げてリードを守りきった。陶久は丁寧に、1球ずつ、ワンアウトずつ、1回ずつを淡々と投げ抜いた。おそらく陶久も、飯田に負けないくらいの熱い闘志を燃やし、投げ続けていたんだろう。それにもかかわらず表面には出さないのも彼らしかったが、飯田からの思いを繋ぎ、投げ抜いたことは確かだった。そして見事に初めての明治神宮大会への出場を決めたのだ。これは、私の野球人生の中でも、強く心に残っている一戦だ。

神宮大会に行くと、飯田は肩の故障でまったく投げることができなかったため、その思いを継いで「飯田のためにも頑張ろう」と全員が奮起した。陶久も飯田のために熱投した。結果、僅差で負けはしたが、陶久は7回から暑さで足が痙攣を起こしながらも9回まで投げ切った。選手の頑張りを思うと、本当に無念な惜敗であった。

神宮で負けはしたが、その試合が終わった時に選手全員が晴れ晴れとした顔になっていたのを今も覚えている。これが神宮大会初出場の思い出である。ここで「俺はこのチームをまた強くできるのだ」と確信した。一から選手たちと向き合い、根気よくやればいいのだ。こんなに素晴らしいチームができたことを考えると、何事にも当てはまると思う。人に真剣に立ち向かい、様々な人間が自分の特性を生かすことで、組織は強さを格段に増すのだ。

出典:『東農大オホーツク流プロ野球選手の育て方』著/樋越勉

『東農大オホーツク流 プロ野球選手の育て方』
著者:樋越勉

多くのプロ野球選手を輩出する北の最果て、北海道網走市にある東京農業大学オホーツクキャンパス野球部。恵まれた施設環境ではないにも関わらず、なぜ有力選手が育つのか⁉東農大学野球部のカリスマ、樋越監督の選手を見抜く眼力と、その育成術を紹介‼プロ野球選手の育て方、ドラフトへ送り込む手腕、練習環境の整え方などを、具体的に解説するプロ野球ファンや指導者必見の一冊。愛弟子の周東佑京のコメントも収録。