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27.国際文化国家となる唐の土台を作った隋王朝【世界史】

Text:鈴木 旭

短命に終わった隋王朝が長期政権となった唐王朝の土台を築いた。

北周王朝の大将軍揚堅(ようけん)は、黄巾(こうきん)の乱以来、400年余も続いた中国世界の分裂と混乱を制し、隋(ずい)王となり、589年、幼帝の静(せい)帝から禅譲(ぜんじょう)されて隋王朝を開く。名乗りは文(ぶん)帝。そして、直ちに北の突厥(とっけつ)を抑え、南の後梁(こうりょう)を併合し、陳(ちん)を倒して中国統一を成し遂げる。

内政面でも改革を進め、まず、開皇律令を制定する。残酷な刑罰を廃し、律を解りやすくした。後に唐(とう)王朝はこの開皇律令を踏襲して律令制度を制定している。官制も尚書、門下、内吏各省を設け、尚書省に人事の吏部、財政の度支部、儀礼の礼部、軍政の兵部、法務の都官部、土木の工部を置いた。他に九寺、御史台があった。

さらに科挙(かきょ)を実行したこと。長い間、官吏の任免権は貴族勢力、地方豪族の世襲に任されていたが、実力試験の結果で決まることになった。開明的な点が好評だったため、容易に皇帝の手に任免権を取り戻すことができた。

こうして見ると、隋の文帝によって短期間に整備された諸制度は、274年に及ぶ長期政権となった唐王朝にそのまま引き継がれ、実行されていることに気付く。なのでいま、これらは「開皇の治」として再評価されつつある。

それにも関わらず、隋の評価が低いのは、初代文帝の死後、二代皇帝となった煬帝(ようだい)が建設途上の王朝の実体を理解せず。大規模な首都、宮城建設の他、河北から江南に至る運河工事に百万余の男女を徴発する等、法外な無理を重ねた他、113万余の大軍勢を徴兵する高句麗(こうくり)遠征を事もあろうに三度も繰り返した。

結果、無理がたたり、隋王朝は自滅するのである。その果実を拾ったのが唐王朝であった。

 

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 世界史』
著:鈴木 旭 日本文芸社刊

執筆者プロフィール
昭和22年6月、山形県天童市に生を受ける。法政大学第一文学部中退。地理学、史学専攻。高校が電子工業高校だったためか、理工系的発想で史学を論じる。手始めに佐治芳彦氏と共に「超古代文化論」で縄文文化論を再構成し、独自のピラミッド研究から環太平洋学会に所属して黒又山(秋田県)の総合調査を実施する。以後、環太平洋諸国諸地域を踏査。G・ハンコック氏と共に与那国島(沖縄県)の海底遺跡調査。新発見で話題となる。本業の歴史ノンフイクション作家として、「歴史群像」(学研)創刊に携わって以来、「歴史読本」(新人物往来社)、「歴史街道」(PHP)、「歴史法廷」(世界文化社)、「歴史eye」(日本文芸社)で精力的に執筆、活躍し、『うつけ信長』で「第1回歴史群像大賞」を受賞。「面白いほどよくわかる」シリーズ『日本史』『世界史』『戦国史』『古代日本史』はロングセラーとなる(すべて日本文芸社)。他に『明治維新とは何だったのか?』(日本時事評論社)、『本間光丘』(ダイヤモンド社)など著書多数。歴史コメンテーターとして各種テレビ番組にも出演。幅広い知識と広い視野に立った史論が度々話題となる。NPO法人八潮ハーモニー理事長として地域文化活動でも活躍中。行動する歴史作家である。

いま地球規模の「人類史」という観点からも注目され、一方で一般教養、知識としても人気が高い「世界史」。世界規模の歴史を学ぶ上で大切なのは、歴史を流れとして捉えること、歴史にも原因と結果があり「なぜ」そこに至ることになったのか大もとの理由を理解すること、そして見ただけで忘れないようにビジュアルで視覚的覚えること。本書ではさらにアジアや日本の歴史とその役割にも重点を置き、最新の発見や新しい史論を取り入れた、世界史の学び直しにも、入門にも最適な知的好奇心を満足させる1冊。

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