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助っ人外国人初のセ・パ12球団から白星!巨人で2年連続最多勝に輝いたセス・グライシンガー

Text:橋本雅生

助っ人外国人列伝/巨人投手編

日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ投打の名選手各5名と、印象深い選手を投打から各1名紹介する。

助っ人外国人初のセ・パ12球団から白星挙げたセス・グライシンガー

【投手5位】セス・グライシンガー

〈NPB通算データベース〉
・勝利 64勝
・敗戦 42敗
・防御率 3.16

勝ち星が計算できる貴重な助っ人右腕

野球は先発が打たれないだけで勝利が近づくスポーツ。当たり前の話だがプロ野球の世界ではこれが難しく、指揮官にとって勝ち星が計算できる先発投手ほどありがたい選手はいないだろう。

その意味で「精密機械」の異名を持つセス・グライシンガーは、安心して先発を託せる助っ人外国人投手だった。

幼い頃からスポーツ万能かつ頭脳明晰だったグライシンガー。高校時代は投手兼ショートで活躍し、1993年のドラフトではインディアンスからドラフト指名を受けるも、学業を優先して名門・バージニア大学に入学した。

大学時代はアトランタオリンピックのアメリカ代表として3勝を挙げ、1996年にタイガースに入団してメジャー入り。多彩な変化球をうまく使う制球力と精度の高いコントロールを武器に1998年に6勝を挙げた。

しかし、ここからスランプに陥ったグライシンガーは、ツインズ→ブレーブスとチームを転々とし、遂には韓国プロリーグの起亜タイガースに移籍する都落ちを経験する。

巨人移籍後も頭脳派プレーで快投を連発

だが、ここからが頭脳派投手の真骨頂だった。韓国球界で結果を残したグライシンガーは、日本でも成功すべくNPBや選手の特徴を徹底的にメモして研究する。それは試合後ではなく、イニングが終わるとすぐに実行し、テレビ中継でメモを取るグライシンガーの姿が頻繁に映し出されたものである。

その甲斐があり、ヤクルトでは先発登板数、無四球試合数、投球回数、被安打率、与四死球率、被出塁率などさまざまな部門でリーグ1位となり、16勝を挙げていきなり最多勝に輝いている。そして、2008年からは高額年俸を提示した巨人に移籍した。

日本で成功して高額マネーを手にし、以降は働かなくなってしまう。これは助っ人外国人の「あるある」なのだが、グライシンガーは違った。

長身を生かしながらテンポ良く投げるピッチングはより磨きがかかり、無駄な四球を出さず淡々と打ち取るスタイルで勝ち星を重ね、17勝を挙げて2年連続最多勝に輝いている。その源はイニングごとに怠ることのなかったメモにあり、大量のデータが集積されていった。

なお、グライシンガーは古巣のヤクルトと阪神にめっぽう強く、この時期は先発発表がされた時点で勝利を確信する巨人ファンも多かった。

助っ人外国人初のセ・パ12球団から白星

2009年も13勝とまずまずの成績を収めたグライシンガーだが、シーズン中に右肘を痛めてしまう。これがかなり重症だったようで、手術後の2010年は6試合の登板にとどまり、2011年も9試合でわずか1勝。復帰のめどが立たないと判断した巨人は、契約を延長せず自由契約になってしまった。

翌2012年は低額年俸でロッテに移籍し、助っ人外国人初となるセ・パ12球団から白星を挙げ、12勝で復活を予感させた。しかし、再び右肘を痛めた結果、2014年に自由契約が公示されている。怪我がなければ息の長い活躍が期待できただけに、もう少しプレーが見たかった助っ人外国人投手である。

ちなみに倹約家だったグライシンガーは、燃費の良いトヨタ・プリウスを愛車にする頭脳派ぶりも見せていた。

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