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聖徳太子が天皇中心の国造りに起ち上がった理由とは?【日本史】

Text:鈴木 旭

継体(けいたい)天皇の嫡男、第二十九代欽明(きんめい)天皇代のこと。百済(くだら)聖明王が釈迦仏一体、経論若干巻を献上し、仏像礼拝の功徳を称えました。

 

すると天皇は「これほど微妙な法を聞いたことがない」と歓喜して群臣に礼拝の可否を求めたので、蘇我稲目(そがのいなめ)は「西の諸国はみな仏像を礼拝しています。わが国だけが礼拝しないわけにはいかない」と答えました。

 

それに対し、物部尾輿(もののべのおこし)が「わが国の王たる人は常に天地の百八十神を祀ってきた。いま改めて蕃神(外来の神)を礼拝すれば国神の怒りを招く」と反対しました。そこで稲目だけに私的に仏像礼拝が許可されたのです。

 

ここから仏教対神道の構図で説明される対立抗争が始まったと説明されますが、そんな簡単なことではありません。渡来人の急増、新旧部族の交代があり、国家の体裁、基盤が揺さぶられたため、聖徳太子が天皇中心の国造りに起ち上がったのでした。

 

出典:『図解 眠れなくなるほど面白い 日本史』著:鈴木旭

【書誌情報】
『図解 眠れなくなるほど面白い 日本史』
著:鈴木 旭

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