氷点下20℃の網走から人をプロ入りさせた大学とは!?~東農大オホーツク流プロ野球選手育成法~
日本の最北端からNPBへ16人もの選手を送り込む東農大オホーツク。なぜ、そこまで選手が育つのか――。その秘密に迫る!
選手に監督の「本気」を示した次は「選手獲得」
その次が「選手獲得」だ。今でこそ全国4強入り2回の全国常連校だが、当時はまだ北海道学生野球連盟の3部リーグ所属。歴史もほとんど無いチームに選手を集めるため、文字通り東奔西走する。
東農大のコーチを務める前に母校・日本学園高校(東京)で監督を務めていた縁をつたうとともに、当時の高校野球界を牽引する存在だったPL学園、沖縄水産、帝京といった“超”のつく強豪にも果敢に飛び込んでいった。そして、ただ行くだけではなく、覚えてもらうことや面白がってもらうことも大事にした。
あえて獲得できなさそうな有名選手の名を挙げて「ください!」と言ってみたり、沖縄水産の栽弘義監督とは夫人とも仲良くなったり、PL学園の中村順司監督がゴルフ場にいると知ると風呂場に先回りして背中を流しに行ったり……。指導者になる前は、銀座で花屋を営んでいた。その際に学んだ営業のスキルと目利きで、口説いていった。そうして送ってもらった選手を丁寧に育てると、毎年のように選手を送ってもらうようになり、だんだんと力のある選手を送ってもらえるようになった。
その中で沖縄水産からは徳元敏と稲嶺誉、PL学園からは小斉祐輔がNPBの世界へ羽ばたいた。樋越監督の後を次いで指揮を執る三垣勝巳監督もPL学園のOBだ。
また高校時代には目立つことの無かった選手や田舎の高校の選手を育て上げるのも樋越監督の手腕だ。例えば初のプロ野球選手となった栗山聡は新発田中央(新潟)のエースだったが県大会序盤で敗れるような投手、2人目の徳元は沖縄水産では主に外野手だったが本人の強い意向もあって投手で才能を開花させた。2人はチームの黎明期を支え「オホーツクから全国大会へ、プロ野球へ」という道筋を作った開拓者とも言える。他にも板倉康弘は秩父農工(埼玉)、風張蓮は伊保内(岩手)と山奥の学校に眠る逸材だった。
出典:『がっつり! プロ野球(29)』
『東農大オホーツク流 プロ野球選手の育て方』
著者:樋越勉
多くのプロ野球選手を輩出する北の最果て、北海道網走市にある東京農業大学オホーツクキャンパス野球部。恵まれた施設環境ではないにも関わらず、なぜ有力選手が育つのか⁉東農大学野球部のカリスマ、樋越監督の選手を見抜く眼力と、その育成術を紹介‼プロ野球選手の育て方、ドラフトへ送り込む手腕、練習環境の整え方などを、具体的に解説するプロ野球ファンや指導者必見の一冊。愛弟子の周東佑京のコメントも収録。
公開日:2021.12.19