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巨人で毎年にようにタイトルを獲得する大車輪の活躍!外国人選手初の名球会入りを果たしたアレックス・ラミレス

Text:橋本雅生

助っ人外国人列伝/巨人打者編

日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ投打の名選手各5名と、印象深い選手を投打から各1名紹介する。

外国人選手初の名球会入りを果たしたアレックス・ラミレス!

【打者2位】アレックス・ラミレス

〈NPB通算データベース〉
・打率 301
・本塁打 380本
・打点 1272打点

秘められた実力が日本で開花

打撃編の第2位は巨人の生え抜き助っ人ではないが、圧倒的な打撃力で第2次原政権を支えたアレックス・ラミレス。ベネズエラにある人口200ほどの小さな町で育ったラミレスは、18歳のときにインディアンスとマイナー契約をしてプロのキャリアをスタートさせた。

だが、チーム事情や起用法の関係で出場機会に恵まれず、1年限定の出稼ぎのつもりでヤクルトに入団する。もともとは力任せのプルヒッターのスタイルだったが、根が真面目で頭脳派だったラミレスは日本の野球を徹底的に研究したという。

また、周囲が呆れるほどの練習に励み、1年目の2001年から打率・280、29本塁打、88打点の好成績をマーク。4年ぶりとなるチームのペナント制覇と日本一に大きく貢献し、野球にひたむきな姿勢と「アイーン」などのパフォーマンスで人気者に。

2003年は本塁打と打点で二冠に輝き、2007年には右打者の助っ人外国人としては史上初のシーズン200本安打を達成するなど、年を追うごとに活躍した。

巨人移籍後は手がつけられない主砲に

ヤクルトに7年間在籍し、2008年から巨人に移籍するとラミレスの打撃センスはさらに磨きがかかった。助っ人外国人は結果を出して年俸が高騰すると怠慢になるケースがあるが、ラミレスはその逆で年々日本の野球を極めていった珍しいケースだろう。

持ち前のパワーと勝負強さを維持しつつ、ヤクルト時代よりも選球眼が良くなって四球が増えて三振が激減。さらにボールを手元まで呼び込んで捌く右打ちを習得したことから、どこに投げても弱点がない打者へと進化している。

それは数字にも表れており、2008年はシーズン途中から4番に座り、打率・319、45本塁打、125打点と暴れて打点王を獲得。2009年は打率・322で自身初の首位打者、2010年は打率・304、キャリアハイの49本塁打、129打点で二冠など、毎年にようにタイトルを獲得する大車輪の活躍を見せた。

なお、巨人は2007年から3年連続でリーグ優勝したが、ラミレス加入後は打線に厚みが増し、ぶっちぎりでペナントを制覇。クライマックスシリーズや日本シリーズでもラミレスがしっかりと4番の仕事をしたことで巨人は2009年に7年ぶりの日本一奪還を達成した。

また、ラミレスは故障と長期離脱がほとんどないのが特徴で、2004年8月から2011年7月まで全試合に出場。985試合連続出場で助っ人外国人の連続出場試合の記録も持っている。ここまで長く日本でプレーし、さらに安定して確かな結果を出してきた助っ人はラミレスくらいだろう。

現役引退後も日本を拠点に活動

2012年からDeNA、2014年にBCリーグ群馬でプレーしたラミレスは、この年に現役を引退。2016年からDeNAの監督に就任するとデータに基づいた頭脳派の采配を発揮し、5年間でAクラス3回とチームの底上げに成功。選手だけではなく、監督としても日本で成功を収め、外国人選手初の名球会入りを果たしている。

今年1月にはプレーヤー部門で野球殿堂入りとなり、YouTubeなどで日本野球を世界に発信する活動にも注力している。

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