助っ人外国人列伝/阪神打者編
日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ投打の名選手各5名と、印象深い選手を投打から各1名紹介する。
打率.350、134打点、54本塁打の驚異的な成績で三冠王に輝いた!ランディ・バース
【打者1位】ランディ・バース
〈NPB通算データベース〉
・打率 337
・本塁打 202本
・打点 486打点
史上最強助っ人の呼び声が高いレジェンド
第7戦までもつれる大熱戦の末、38年ぶりの日本一に輝いた阪神タイガース。それをたぐり寄せたのが助っ人外国人のシェルドン・ノイジーだが、1985年の日本一に多大なる貢献をしたのがランディ・バースだ。
当時は現・阪神の指揮を執る岡田彰布、ミスター・タイガースこと掛布雅之、真弓明信など日本人選手も奮闘したが、類い希なる暴れっぷりで打線を牽引したバース抜きであの日本一がなかったことは誰もが認めるところ。阪神ファンはもとより、昭和の時代からプロ野球を見ているファンにとって、「史上最強助っ人=バース」と想像する人は少なくないだろう。
そんなバースはオクラホマ大学時代から長打力に定評があり、1977年にツインズ入り。しかし、幼少時に足を複雑骨折していたことから全力疾走ができず、守備も一塁に限定されていた。そのためメジャーで複数の球団を渡り歩くも、レギュラー獲得には至らなかった。
さて、MLBはシーズンオフになると全球団の運営関係者が一堂に会し、リーグの運営や選手の去就について話し合われるウィンターミーティングがある。
1982年のウィンターミーティングでは、メジャー球団がバース獲得の意思を示さなかったことで、阪神、阪急、ヤクルトが興味を示した。
結果的にバースは阪神入りしたが、阪急かヤクルトに入団していれば、強打者のブーマー・ウェルズやボブ・ボーナーなどとクリーンアップを組む可能性があったのだ。
記憶に刻まれる1985年のバース
もともと打撃力は申し分なく、打席に立てれば結果を残せたバース。阪神でレギュラーの座を勝ち取ると、初年度のペナント前半は調子が上がらなかったが、終盤から球団新記録の25試合連続安打をマーク。打率こそ3割に届かずも、35本の豪快アーチを放って虎ファンを喜ばせる。
そして、今も語り継がれる大活躍をしたのが3年目の1985年だ。日本の投手を研究して配球を読むスタイルを身に付け、元・大洋の長崎慶一が実践していたミート打法を手本にフォームを改造すると、3シーズン目は手がつけられない強打者に覚醒する。それは配球を読んだミート打法によりどんな球種にも対応できるようになったからだ。
その結果、バースの打率は飛躍的に上がり、ヒットの延長がホームランという手がつけられない暴れっぷりで、春先から調子を落とすことなく打ちまくった。
こうしてバースは、打率・350、134打点、54本塁打の驚異的な成績で三冠王に輝いたが、54本目を打った時点での残り2試合がいずれも巨人だった。
当時、巨人の監督を務めていた王貞治に投手陣が忖度したかは定かではない。ただ、シーズン55本塁打の更新が注目されるなか、多くの投手が敬遠したことでバースの記録更新は幻に終わってしまった。
なお、圧倒的な打撃でチームを牽引したバースは、21年ぶりのペナント制覇の立役者となり、西武との日本シリーズでも決勝本塁打を放つ活躍を見せ、阪神を2リーグ制後初となる日本一へと導いている。
最強のまま電撃的な退団&引退
あまりにも頼りになる打棒に、虎ファンから「神様・仏様・バース様」と崇められたバースは翌1986年も打ちまくり、2年連続三冠王の快挙を達成した。
本塁打こそ47本と減ったものの、打率が驚異的で7月上旬まで4割前後をキープしつつ、シーズン打率・389という脅威の数字で張本勲が持っていた記録(.383)を更新している。
1980年代のNPBは実力を伴った助っ人外国人打者が豊富だったが、「史上最強助っ人」の称号をほしいままにしたバース。しかし、1988年に難病を患った長男への対応を巡って球団と対立し、電撃的に退団してそのまま現役にピリオドを打っている。
その後のバースは日本での人気が高く、NPBのレジェンドが集うドリームマッチに何度も出場し、日本のテレビ番組やCMに出演するなど元気な姿を見せている。また、2004〜2019年までオクラホマ州議会上院議員を務めた。
公開日:2024.01.01