1. 長崎の街から隔離された唐人屋敷江戸時代、中国人はオランダ人の出島と同じように、日本人との接触をさけるため唐人屋敷(唐館)という施設に隔離されていました。本資料はその唐人屋敷の絵図面(手書き)で、幕府が崩壊した慶応3(1867)年に作成されたものです。 「長崎唐館絵図面」慶応3(1867)年12月 横浜開港資料館所蔵 「長崎江黒船着岸之節御人数被差越候一件之抜書(我利阿武船入津御船備之図添)」正保4(1647)年、天保14(1843)年写 横浜開港資料館所蔵
2. 来航を許されなかった外国船を取り囲むようす正保4(1647)年6月、貿易の再開を求めて来航したポルトガル使節ソウザを乗せた外国船を、諸藩の船・軍勢が包囲する様子を描いています。長崎には来航を許されなかった外国船の訪れが多くありました。絵図面は熊本藩の関係者が作成した古文書の綴りに添付されていたものです。 3. 浮世絵に描かれた長崎市街と丸山遊廓この資料を描いた五雲亭貞秀は横浜でも多くの浮世絵を描いた人物です。本資料は右側に長崎の遊廓街(丸山遊廓)を、左手に長崎の町と出島を描いています。見ごたえのある貞秀の名品です。遊廓は長崎でも横浜でも名所となりました。 「肥前長崎丸山廓中之風景・肥前崎陽玉浦風景之図」歌川(五雲亭)貞秀画 文久2(1862)年 横浜開港資料館所蔵 「バツテイラ渡海之図」江戸時代 横浜開港資料館所蔵 パリで発行された長崎の地図「Plan de la Ville et du Port de Nangasaki」1750年頃 横浜開港資料館所蔵 地理学者の長崎見聞録 長久保赤水「長崎紀行(長崎行役日記)」文化2(1805)年 横浜開港資料館所蔵 長崎の町かど「Street in Nagasaki」C.C.キング画 幕末期 横浜開港資料館所蔵