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13.易姓革命で周の武王が殷王朝を打倒【世界史】

Text:鈴木 旭

古代中国独自の封建制度で血統重視の身分制度を導入する新王朝開設。

前20世紀~前19世紀頃、黄河流域に広大な領域を支配する「殷(いん)」と名乗る王朝が出現する。農事、軍事などの国事行為はことごとく神意を伺い、その結果に基いて王が万事を決済するという祭政一致の神権国家である。

ところが、前11世紀に至り、殷王朝に服属していた周(しゅう)の武王(ぶおう)が軍を起こして殷王朝を攻め、鎬京(こうけい)(今の西安)を首都とする新王朝を開く。伝説では殷の紂王(ちゅうおう)が美女妲己(だっき)とのただれた愛に溺れたのが命取りになったといわれる。

ともかく、武王は「秩序回復」「新制度による国家再建」を掲げ、殷王朝との戦いで功のあった一族功臣や各地の有力者に封土を与えて世襲の諸侯とし、貢納と軍役の義務を負わせた。また、周王や諸侯の下には「卿・大夫・士」という家臣が連なっていたが、これの領地を与えられ、農民を支配する仕組みになっていた。

こうして殷王朝における自然神崇拝と祖先神崇拝の祭祀権を継承し、殷王朝に代わって執り行なうという大義名分を立てた。これを「易姓革命」、すなわち、天命が革まり、有徳者(うとくしゃ)が新天子となって姓が易(かえ)ることをいう。以後、この説によって王朝交代を正当化するようになる。

その結果、上は王から下は計・大夫・士に至るまで血統の同じ親族、家族によって構成され、本家の家長を中心に祖先の祭りを行ない、村々の農民も土地神を中心とする村落共同体として王侯・士大夫が支配するようになる。

周王朝のこと、特筆しなければいけないのは、中国4,000年の歴史の五分の一、約800年を周王朝の統治期間で占めていること。春秋時代になっても「礼」は失われなかったということである。

 

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 世界史』
著:鈴木 旭 日本文芸社刊

執筆者プロフィール
昭和22年6月、山形県天童市に生を受ける。法政大学第一文学部中退。地理学、史学専攻。高校が電子工業高校だったためか、理工系的発想で史学を論じる。手始めに佐治芳彦氏と共に「超古代文化論」で縄文文化論を再構成し、独自のピラミッド研究から環太平洋学会に所属して黒又山(秋田県)の総合調査を実施する。以後、環太平洋諸国諸地域を踏査。G・ハンコック氏と共に与那国島(沖縄県)の海底遺跡調査。新発見で話題となる。本業の歴史ノンフイクション作家として、「歴史群像」(学研)創刊に携わって以来、「歴史読本」(新人物往来社)、「歴史街道」(PHP)、「歴史法廷」(世界文化社)、「歴史eye」(日本文芸社)で精力的に執筆、活躍し、『うつけ信長』で「第1回歴史群像大賞」を受賞。「面白いほどよくわかる」シリーズ『日本史』『世界史』『戦国史』『古代日本史』はロングセラーとなる(すべて日本文芸社)。他に『明治維新とは何だったのか?』(日本時事評論社)、『本間光丘』(ダイヤモンド社)など著書多数。歴史コメンテーターとして各種テレビ番組にも出演。幅広い知識と広い視野に立った史論が度々話題となる。NPO法人八潮ハーモニー理事長として地域文化活動でも活躍中。行動する歴史作家である。

いま地球規模の「人類史」という観点からも注目され、一方で一般教養、知識としても人気が高い「世界史」。世界規模の歴史を学ぶ上で大切なのは、歴史を流れとして捉えること、歴史にも原因と結果があり「なぜ」そこに至ることになったのか大もとの理由を理解すること、そして見ただけで忘れないようにビジュアルで視覚的覚えること。本書ではさらにアジアや日本の歴史とその役割にも重点を置き、最新の発見や新しい史論を取り入れた、世界史の学び直しにも、入門にも最適な知的好奇心を満足させる1冊。

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