ローマ教会と結託するカール大帝の遠望
フランク王国は西ヨーロッパの中枢部を構成するフランス、ドイツ、イタリアの近代国家が誕生する母体となっている。その意味で、フランク王国の歴史は現代人の身近な話題となる。そもそもフランク族はライン川下流、河口一帯が発祥の地となっている。そして早くからローマ帝国と誼よしみを通じ、勢力を養った。その中で四八一年、メロヴィング家のクローヴィズが他の支族を圧倒し、フランク王国を建てる。
そして、ライン川から大西洋、ガロンヌ川まで支配区域を拡大すると東ローマ皇帝はクローヴィズを西ローマ帝国の継承者と見做すようになる。そこでカトリックに改宗するや、ローマ教会も喜び、フランク王国と連携するようになる。
しかし、クローヴィズの死後、フランク王国は四つの国に分裂。その一つ、アウストラシア王家の宮宰を務めるカロリング家が台頭する。そして、ピピン三世(短身王)の代、ローマ教皇の「適格者こそ王に相応しい」とのお墨付きを得て、メロヴィング朝の王を退位させ、自ら王に即位する。カロリング朝が開かれる。
カロリング朝のフランク王国は、ピピンの子、カール大帝が全フランク王国の支配者となって王権を確立。全盛期を迎える。東はアジア系アヴァール族を撃退し、バイエルン大公を従え、北は強力なザクセン人を制圧。南は北イタリアのランゴバルト王国を征服して奪った領地をローマ教皇に寄進。ますますローマ教会と親密になった。
八〇〇年のクリスマスの日、サン・ピエトロ寺院で教皇レオ三世からローマ皇帝の冠を授かったカール大帝は、聖権(教皇)と俗権(君主)を併せ持つ、西ヨーロッパ世界の権威を確立する。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 世界史』
著:鈴木 旭 日本文芸社刊
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公開日:2023.01.02