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22.漢王劉邦から武帝に繋ぐ漢帝国の世界的発展【世界史】

Text:鈴木 旭

初代の中華帝国秦王朝に学んだ漢王劉邦の慰安=統治方針。

前209年、農民兵士の陳勝(ちんしょう)・呉広(ごこう)の乱は一時、「張楚(ちょうそ) 」という国を建てる勢いであったが、結局は内部崩壊し、農民出身の劉邦と楚の名門出身の項羽の戦いに局面は移る。

一方、秦帝国の宮廷も内紛に陥り、二世皇帝は殺害され、自ら秦王に格下げした三世皇帝は旧帝都咸陽(かんよう)に一番乗りした劉邦に降伏した。ここで漢王となった劉邦は項羽と対等の立場となり、「垓下(がいか)の戦い」で項羽を撃破。前202年、漢王朝を開設し、初代皇帝に即位したのである。

劉邦は長い動乱後の疲弊を案じ、暫時の休養策を採る。兵士には功績に応じた恩典を与えて農業に戻し、田租を軽減した。民衆の間でも二十等爵制を設け、爵位を与えて慰安した。これで爵位を通して一つの国家秩序に編成された。

また、郡県制の失敗に学び、功績のあった家臣・一族には封土を与えて諸侯に任じ、封建制を採用しながら、自らの直轄支配地には郡県制を採用した郡国制を施行したのである。ケース・バイ・ケースの柔軟発想が内政安定、農業はじめ生産力と税収増大を生み出し、帝国の基盤を強化したのであった。

秦帝国の後、中国王朝を引き継いだ漢帝国は、西暦紀元の前後、ほぼ二百年ずつ、前漢と後漢に分断されつつも四百年にわたって中国の中華の地を支配し続けた。そこには初代王朝と評すべき秦帝国の失敗に学んだ劉邦(高祖=こうそ )以来の統治方針、数々の背策が生かされていたのである。

第三代文(ぶん)帝も秦代の厳しい法律を大幅に削減、過酷な刑罰も緩和。人頭税や夫役(ぶえき)も軽減しており、次の景(けい)帝も文帝に準じていたので、世に「文景の治」として賞賛されたのであった。

 

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 世界史』
著:鈴木 旭 日本文芸社刊

執筆者プロフィール
昭和22年6月、山形県天童市に生を受ける。法政大学第一文学部中退。地理学、史学専攻。高校が電子工業高校だったためか、理工系的発想で史学を論じる。手始めに佐治芳彦氏と共に「超古代文化論」で縄文文化論を再構成し、独自のピラミッド研究から環太平洋学会に所属して黒又山(秋田県)の総合調査を実施する。以後、環太平洋諸国諸地域を踏査。G・ハンコック氏と共に与那国島(沖縄県)の海底遺跡調査。新発見で話題となる。本業の歴史ノンフイクション作家として、「歴史群像」(学研)創刊に携わって以来、「歴史読本」(新人物往来社)、「歴史街道」(PHP)、「歴史法廷」(世界文化社)、「歴史eye」(日本文芸社)で精力的に執筆、活躍し、『うつけ信長』で「第1回歴史群像大賞」を受賞。「面白いほどよくわかる」シリーズ『日本史』『世界史』『戦国史』『古代日本史』はロングセラーとなる(すべて日本文芸社)。他に『明治維新とは何だったのか?』(日本時事評論社)、『本間光丘』(ダイヤモンド社)など著書多数。歴史コメンテーターとして各種テレビ番組にも出演。幅広い知識と広い視野に立った史論が度々話題となる。NPO法人八潮ハーモニー理事長として地域文化活動でも活躍中。行動する歴史作家である。

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