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秦という強大国のはじまり【始皇帝の話】

Text:渡邉義浩

起源は名馬を上納して領地を授かった馬飼い

秦の始皇帝となる嬴政(えいせい)の血筋を遡(さかのぼ)っていくと、周(しゅう)王に仕えた非子(ひし)という一人の人物にたどり着きます。

嬴政の中華統一よりおよそ700年前、紀元前900年頃に秦亭(しんてい)=「現在の甘粛(かんしゅく)省、天水(てんすい)市、張家川回族(ちょうかせんかいぞく)自治県」という地域に暮らす馬飼いでした。

彼は多くの名馬を周王室へ納め、その功績により周王より嬴(えい)という姓と領地を賜(たまわ)ったとされています。これが今に伝わる、秦のルーツです。西方の秦亭は草原と水、丘陵のそろった中国一の名馬の産地でした。

非子が生きた時代からおよそ100年後に、大きな事件が起こります。周王朝が西方の異民族、犬戎(けんじゅう)に侵略されて、幽王(ゆうおう)は殺害。前770年に滅びます。

このときに命がけで後継者の平王(へいおう)を守り、洛邑(らくゆう)に東周を建てるまで保護したのが当時の秦の君主、襄公(じょうこう)でした。そして、秦は陝西(せんせい)省の岐(き)に領土を広げ、諸侯の一人として認められたのです。

後に、漢の首都となる長安(現在の西安)も含む陝西省はとても豊かな土地。しかし、西方の出身である嬴の一族は、春秋時代のはじめには、ほかの諸侯から文明度の低い野蛮な民と見なされていました。

幽王:西周最後の王。褒姒(ほうじ)という女性を愛して王国を滅亡させ、自らも反乱に遭い殺害された。幽王の死後、周は東の洛邑へ遷都し、東周となったが、王権は弱体であった。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 始皇帝の話』
著者:渡邉義浩  日本文芸社刊

執筆者プロフィール
1962 年東京生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。文学博士。現在、早稲田大学理事・文学学術院教授。大隈記念早稲田佐賀学園理事長。三国志学会事務局長。専門は古代中国思想史。主な著書・監修本に『眠れなくなるほど面白い 図解 三国志』(日本文芸社)、『始皇帝 中華統一の思想―「キングダム」で解く中国大陸の謎』(集英社新書)、『教養として学んでおきたい三国志』(マイナビ新書)などがある。


紀元前246年、13歳で即位し、史上初めて中国を統一して500年の争乱の歴史に終止符を打った秦の始皇帝。歴史に残るその戦いと数々の偉大な功績、また謎に満ちた生涯、始皇帝を支えた多くの忠臣を、最新研究をもとに図解、イラストを交えてわかりやすく解説する。人気マンガ『キングダム』でも脚光を浴びた「始皇帝」の人物像と中華統一や数々の偉業の謎と軌跡に迫る。

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