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ジェンダー、コロナ、そして東京2020。有森裕子「今、日本が東京2020について考えなければならないこと」【緊急提言#2】

女性蔑視の発言で、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗氏が、会長の座を降りることとなった。偏見・差別のない平等はオリンピック精神の一つであるだけでなく、社会を織りなす根幹でもあり、一連の騒動は危機管理やガナバンスといった観点も含めて波紋を広げている。ジェンダー平等に賛同するHALF TIMEでは、マラソンのオリンピックメダリストであり、スペシャルオリンピックス日本理事長、国際オリンピック委員会(IOC)Sport and Active Society Commissionメンバーも務める有森裕子氏に、「緊急提言」を行っていただいた。

東京2020の開催をいかに考えるべきか

――東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長だった森喜朗氏の発言、女性差別の問題とは別に、東京2020の開催については、どう考えていくべきだと思われますか? 

「これは社会情勢によるでしょうね。そもそも東京オリンピックやパラリンピックは、夏の厳しい暑さの中で開催される予定になっていた。だからコロナ禍が問題になる以前の段階でも、医療のサポートも含めて、ものすごく運営や開催が大変になるだろうということが既に指摘されていたじゃないですか。

たしかに、組織委員会の方々も対策を考えてこられたし、その一環としてマラソンと競歩を北海道で行うような方式にもなった。とは言え北海道で行うなら行うで、やはり医療やサポート体制の整備は大変になるし、大会の運営には様々な苦労がかかるわけですね。

ましてや今はコロナ禍のせいで、日本だけでなく世界中が苦しんでいる。医療現場が崩壊の危機にあるのもご承知のとおりです。私が一番懸念しているのはそこなんです。このような状況の中で大会を開催するために、社会全体に対して負担を強いる。こんな発想は言語道断だし、そんなことまで強いる大会など、開催していいのでしょうか?」

――東京大会の開催に向けて1万人の医療スタッフを確保するという案に対しては、医療関係者からも強い反対の声が上がりました。

「もちろん私はすべての現実や事実を知っているわけではないですが、医療現場が逼迫しているというニュースは、連日のように報道されている。その結果、一般医療を必要としている人たちが、治療を受けられないような問題も出てきているし、厳しい状況がまだしばらく続きそうだということは誰の目にも明らかになっている。そんな状況の中で、東京大会にこれだけの医療の人たちが必要だなどという話を、どうして公にしたりするのか」

誰のためのオリンピックか

――社会や医療従事者に負担を強いて開催するような形になってしまうと、オリンピックやスポーツの理念からかけ離れた大会になってしまいますね。

「理念も何もない、まったくもって別物ですよ。この大会は誰のために、どこを向いて開催しようとしているのか。東京で大会を開くことで、どんなレガシーを残そうとしているのですかという話になってしまう。あれだけ『レガシーは?レガシーは?』と言っていたのに。

仮にコロナが収束していて、誰もが疲弊しきっているけれども、その気持ちを元気づけるために大会を開催しましょうというのなら、まだわからなくもない。

でもコロナはまったく収束していないし、むしろこの瞬間にも医療の現場にのしかかる負荷は膨れ上がっている。しかも医療現場の方々は既に疲弊しきっているのに、必死に対応しようとされているわけじゃないですか。

そういう退っ引き(のっぴき)ならない状況がある中で、一体、どういう雰囲気でオリンピックを開催すればいいのか。そこが私にはまったくわからない。世間の人たちにしても、現実を無視して無理やり開催しようというようなコメントを耳にすればするほど、ますますオリンピック・パラリンピックからは心が離れていってしまう。今の状況では、開催されない方がいいと思われても仕方がないと思います」

――仰っていることはよくわかります。私も父方の従兄弟はすべて医師ですし、介護士をしている知人もいますから。医療や介護の現場は、報道されているよりもはるかに過酷です。

「もちろんアスリートの中には、コロナを克服するためにもみんなを元気づけたい、そういう大会にしたいというイメージを持っている人たちもいると思うんです。

でも個人的に言わせてもらえば、私は人生をかけて頑張ってきたアスリートたちに、そんな状況の中で開催される大会には参加してほしくない。

理念も共感もまったくなくて、誰にも歓迎されない。へたをすれば観客さえ一人もいないような舞台に立たせる……。あそこまで一生懸命に努力してきたアスリートたちに、どうしてそんなかわいそうなことをさせられるのか。元オリンピアンとして、今の流れは理解に苦しみます」

「私もその気持ちは痛いほどわかる」

――その点に関しては、アスリートの方々も揺れ動いています。こんな状況で大会を開催してはいけないと思うと同時に、自分には4年間に一度しかチャンスが巡ってこない、人生において最初で最後のチャンスになるかもしれないのだから、東京大会をなんとか開催してほしいと望まれる方もいらっしゃる。

「私もその気持ちは痛いほどわかる。わからないわけじゃ全然ないんです。私自身、彼らの気持ちをどうやったら支えられるだろうかと、ずっと考えてきましたから。だけど……だからと言って、今の状況のまま大会をやっていいと……そんな方向には自分たちの気持ちを持っていってほしくないんです……すみません」
(著者注:有森さんは落涙されながら、絞り出すような声でこう発言された)

――大会に参加することによって周囲から批判を受ける、あるいは後ろめたい思いをするようなことは、万が一にもあってはならない。軽はずみな発言をするつもりは毛頭ありませんが、アスリートの方々には真の意味で禍根を残さない判断を下されてほしいですね。

「まさにそうだし、大会の開催を見送った場合には、IOCを含めて多くの人が東京で実現できなかった彼らの夢や想いを本当に大切にし、やはりこれから先の人生において、その勇気をどこかで評価し、讃えて、何かしらの形にしてほしいと思うんです。

今回のような状況下では、そういうふうに感じている人たちが、世界中にたくさんいるんじゃないでしょうか。アスリートには、その事実を誇りに思って力にして、未来に向けて頑張ってほしいんです。私は心からそう思いますね。口で言うのは簡単ですが、そこは本当に大切なところですから」

――我々もアスリートの方たちが抱えている苦悩や苦渋をもっと自分事として受け止めて、精神的にも物理的にも支えてあげられるようにしていかなければならない。

「私はきれいごとを言っているとか、自分もオリンピアンだったのだから、アスリートたちの気持ちはわかるはずだろうとか、いろんなことを言われるんです。

でも世の中で起きていることを真剣に考えて、最終的にどの道を選ぶのかということになれば、やはり自分としてはアスリートに対して、本当に申し訳ないけれども、今回だけはなんとか我慢してくださいと言わざるを得ない。それが今の偽らざる気持ちなんです」

ちょうど1年前に下されていた、勇気ある決断

――きれいごとだとは思いません。有森さんご自身、身を切るような思いで苦渋の決断を下されたことがあるからです。昨年2月にはスペシャルオリンピックス日本の冬季大会が、北海道で開催される予定になっていました。有森さんはそのために東京から北海道に日参され、スポンサーを必死に回られ、地域自治体とも調整を重ねられていた。アスリートの方たちも参加できるチャンスが何度もあるわけではないので、誰もが大会を心待ちにしていました。

しかし有森さんは、新型コロナウイルスが急速に感染されていることを危惧され、断腸の思いで開催中止を決断されている。結果的にその選択は正しかった。2週間後には北海道でクラスターが発生し、一気に感染が拡大していったからです。あれはまさに英断でした。単純に大会をやる、やらないではなく、真の意味での勇気や理性、そして大義が求められているというのは、現在の状況もまったく同じだと思います。

「オリンピックやパラリンピックは、私たちのスペシャルオリンピックスと同じで、本当にスポーツの祭典なんです。これはスポーツ界全体にとってのお祭りなので参加するすべての人が主役になるし、アスリートや運営スタッフ、観客の方々、そして地域の方々も含めて、すべての人の健康や安全が必ず確保されなければならない。それが保証されて初めて『お祭り』と言えるんです。

逆に言えば、誰かだけが楽しんで、誰かのためだけに開催するのはお祭りではない。お祭りをする際には、みんなの想いを一つにして全員で楽しみと喜びを分かち合わなければならないし、誰一人欠いたり、不安な気持ちにさせてはならない。その基準は、大会の規模が大きくても小さくても絶対に変えてはならない。私はそう思うんです」

聞き手:田邊 雅之
学生時代から『Number』をはじめとして様々な雑誌・書籍でフリーランスライターとして活動を始めた後、2000年から同誌編集部に所属。ライター、翻訳家、編集者として多数の記事を手掛ける。W杯南アフリカ大会の後に再びフリーランスとして独立。スポーツを中心に、執筆・編集活動を行う。

初出=「HALF TIMEマガジン」21年2月19日掲載
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