SPORTS COLUMN
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引退直後の「男・村田修一」に会いに来ました。

Text:遠藤玲奈

2018年、プロ野球選手としてのキャリアに終止符を打ち、新たにジャイアンツの2軍コーチとして指導者の道を歩み始めた村田修一さん。その引退直後の姿を一目見ようと、会場には100名を超えるファンが訪れました。古くから親しいスタジアムDJケチャップさんとのトークショーの模様をリポートします。

「去年、あんなことをしておいて・・・」

なぜ、巨人のコーチのオファーを受けたのか。村田修一さんに関して、私はそれがいちばん不思議でした。

もし私が村田さんの立場なら、その話を聞いて「…はあ?」と口に出すかどうかはともかく、そのような態度をとったかもしれません。去年あんなことをしておいて、と感じてしまっただろうという気がします。

疑問はさらりと解消しました。話を聞いた時、村田さんは「喜んで!」という気分だったそうです。

いろいろあったけれど、若くて元気なのに職がないのも、ということなのか。あるいは、予想をはるかに上回る好条件だったのか。いや、でもそれならそもそも自由契約になっていないか…そんな私のつまらない想像は、あっけなく砕け散りました。大きな葛藤の果てに、ではなく、嬉しかったから受諾したのです。

そこに至るまでにさまざまな感情を経てきたことは言うまでもありません。まさに自由契約を告げられた時、他球団からのオファーを待っている期間、キャンプのない2月、その時々を思い出しながら、考えていたことを詳しくお話してくださいました。

引き際を決める権利

プロ入りから16年、数えきれないほどの輝かしい思い出があるはずですが、最後の1年がとても重い印象を残すことになったのがひしひしと伝わりました。自分の意思でやめられる立場かと思っていた、という言葉に胸を突かれました。

本人がよほど悪いことをした、業績が振るわなかった、そうでないなら所属先が想定外の苦境に陥ってやむにやまれず。「やめさせられる」原因といえば一般にはそういったところですが、村田さんの場合はどれにも当てはまりません。誰もが認める才能を守備にも打撃にも発揮していれば、引き際を決める権利は自分にあると考えることは決して贅沢ではありません。当然です。

終わりよければすべてよし、という言葉に即して考えるなら、村田さんの野球人生はよいものではなかったのか。あるいは、その結論では悲しすぎるから、巨人のコーチとしてのキャリアをスタートさせることを選んだのか。どちらも違うように私には思われます。

もっと単純に、村田さんは野球が好きなのです。「好きな野球を大勢のファンの前で長年続けられてよかったし、またユニフォームを着てグラウンドに立てるのならそうしよう」「それが自分にとっていちばん自然だ」という気持ちに基づく新たな進路なのでしょう。

突然の自由契約の宣告は「ちょっとしたこと」ではなかったはずですが、それでも嫌いになれないほど、野球との付き合いは深いものだったのです。

指導者としての意識の高さ

「プロの選手だからこそ平均点はいらない」「どういう自分になりたいか、選手たちとしっかりコミュニケーションをとって聞き出していく」という言葉からは、すでに指導者としての意識の高さが十分感じられました。

心配な点があるとすれば、ただひとつ。

特にバッティングに関して、村田さんはそれほど苦労せず相当なハイレベルに達していたように思われることです。若手の頃からふてぶてしく見られがち、練習も手を抜いているかのように、というお話の中で「遠くに打つのはそんなに一生懸命しなくてもできたから」とおっしゃっていました。

高校や大学でトップレベルの選手だけがプロ入りしてくるわけですから、一定以上の打撃力は全員が備えているはずですが、その中でまた序列がつけられ、バッティングがそれほど得意でない選手も出てきます。自分が得意なこと、それほど苦労せずともできることを他人に教えるのは、なぜできない、という入口に立ってしまうと難しいものです。試行錯誤しつつ、よりよい教え方を見つけて、村田コーチのおかげで会心の当たりを味わえた、という選手がたくさん出てくることを期待します。

『ラブすぽ』ライター:遠藤玲奈
池田高校のやまびこ打線全盛期に徳島に生まれる。慶應義塾大学法学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。選手としての経験はないが、独自の方法で野球の奥深さを追究する。特に気になるポジションは捕手。フルマラソンの自己ベストは3時間31分。