プロ野球妄想年俸 篠塚和典編
第2回 ~不動のレギュラー編~
本サイトや雑誌「がっつり!プロ野球」(日本文芸社)でも好評を博した『球界のレジェンド、今なら年俸はいくら?』。かつて球界で大活躍した往年の名選手がもし、現在のプロ野球でプレーしていたら、その年俸はいかほどか……を勝手に想像するこの企画。
今回は“昭和の巨人軍”を代表するヒットメーカー、篠塚和典選手が「もし、今プレーしていたら」を妄想する第2弾!
FA残留で年俸6億円の5年契約を掴んだ篠塚和典
⚫︎篠塚和典/読売ジャイアンツ
プロ6年目にセ・リーグ2位の打率.357をマークし、一躍トッププロの仲間入りを果たした篠塚利夫(※のちに和典に改名)。翌年以降も不動のレギュラーとして、コンスタントに打率3割をマークする安定感を見せる。
大ブレイク翌年の1982年は.315、翌1983年は.307とやや率を落とすも代わりに自身初の2ケタ本塁打(13本)をマーク。そして1984年には.334で悲願の首位打者を獲得する。
当然ながら、現代であれば毎年のように年俸が上昇。倍々ゲームに近い感覚で増額し、妄想上は首位打者を獲得した1984年オフには4億円で契約更改――と想定してみた。
篠塚和典と言えば、流し打ちに代表される軽打のイメージを持つファンも多いかもしれないが、84年にリーグ最多35本の二塁打を放ったことからもわかるように、「中距離打者」の一面も持つ。
その証左が、当時はなかった指標、OPSだ。出塁率と長打率の合計で導き出すOPSは得点との相関関係が高いことで知られているが、篠塚和典は1981年~84年まで4年連続でOPS8台をマーク。ちなみに2023年、OPS8以上をマークした打者はセ・リーグに9人、パ・リーグに5人しかいない。
このことからも、篠塚和典は本塁打を量産するスラッガータイプでこそないが、打者としてリーグトップレベルの選手だったことがわかる。
こうなると気になるのがFA権を取得するタイミング。残念ながら篠塚和典の現役時代はFA制度が生まれておらず、史実ではFA権を行使することができなかったが、現代であれば首位打者を獲得したプロ9年目~10年目あたりで権利を獲得できるはず。
巨人というチームに在籍しているため、現代であってもFA移籍の可能性は低そうだが、年俸自体は一気に跳ね上がる可能性が高い。
ここでは仮に、プロ10年目を終えた1985年オフにFA権を行使し、巨人に残留したら……という想定で妄想年俸を算出してみよう。
参考にしたいのが昨オフ、日本ハムからソフトバンクへとFA移籍を果たした近藤健介だ。近藤は篠塚和典と同様に高打率と高出塁率がウリで、本塁打数のわりにOPSが高い。そんな近藤健介はソフトバンクと年俸5億5000万円の7年契約を結んだと推定されている。年俸は流動性というウワサもあるが、この数字をベースに篠塚和典の妄想年俸を考えてみよう。
ここで算出したのは、年俸6億円の5年契約。契約年数は近藤健介より短いが、年俸は5000万円上積みしてみた。近藤健介が外野手なのに対し、篠塚和典は二遊間を守れる守備の名手でもある。そのあたりを加味しての評価だが、いわゆる「スラッガー」ではない打者に対しての年俸6億円は現代プロ野球界では最上級の評価ではないだろうか。