助っ人外国人列伝/巨人打者編
日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ投打の名選手各5名と、印象深い選手を投打から各1名紹介する。
シーズン40本塁打以上が7回。巨人にはわずか2年の在籍も、初年度45発でホームラン王に輝いたタフィ・ローズ!
【打者4位】タフィ・ローズ
〈NPB通算データベース〉
・打率 286
・本塁打 464本
・打点 1269打点
NPBで掴んだビッグチャンス
メジャーでは鳴かず飛ばずも日本球界で覚醒する助っ人外国人は少なくない。第4位のタフィ・ローズも日本で大成功を収めた助っ人の一人だろう。
18歳のときの1986年にアストロズに入団したローズ。だが、メジャーの敷居は高く、3Aとマイナーリーグを行ったり来たりしていたことから「エレベーター選手」と揶揄され、20代半ばで引退を考えていたという。
だが、1996年に近鉄からのオファーを受け入れると人生が一変する。実績がなく首脳陣からあまり期待されていなかったローズだが、NPBの水がよく合ったのか、シーズン3本のサヨナラ本塁打を放つなど、全試合出場でチーム三冠王の活躍で覚醒したのだ。
入団当初は瞬足の中距離ヒッターだったローズは、怪我防止のためウエートトレーニングを始めると、打球の飛距離が飛躍的に伸び、ホームランバッターとして開花する。
4年目の1999年は40本塁打、101打点で二冠王に輝き、2001年には王貞治とならぶ55本塁打を放って、近鉄最後となるリーグ優勝の立役者となったのだ。
外国人では史上初の両リーグでの本塁打王に
ローズは経営状態が悪化のため近鉄と契約がまとまらず、2004年から巨人でプレーする。注目度の高い人気球団で実力が発揮できないのではと懸念されたが、ローズは意にまったく介さず豪快弾を連発。藤井寺球場よりも広い東京ドームで45本塁打を放ち、外国人では史上初の両リーグでの本塁打王に輝いた。
なお、ローズの打撃フォームは、バットを寝かせ回しながらタイミングを取る独特なスタイルだが、好調時は1試合に2〜3発が当たり前の固め打ちをするため、対戦投手は手を焼いたはずだ。
こうしてNPBの歴史に刻まれるような大活躍を見せたローズは、FA権を取得して外国人枠の適用外となり、「生涯巨人」を宣言するなど、以降の活躍が期待されていた。
だが、もともとキレやすい性格と高額年俸&好待遇が災いしてか、2005年は開幕直後の怠慢プレーを指摘した首脳陣に激高し、「ジャイアンツ大嫌い」発言が物議を醸してケチが付いた。この頃のローズは瞬足が見る影もない走塁や外野守備での怠慢プレーが目立つようになり、さらには主審の判定が気に入らないと乱闘騒ぎを起こすなど、手のつけられない暴れん坊助っ人になってしまったのだ。
打撃だけ見れば史上最強クラスでも、ローズの素行の悪さはチーム成績にも影響し、この年の巨人は26年ぶりの5位に終わってしまった。そのためローズは生涯巨人どころか、わずか2年でユニフォームを脱いだ。
最後まで衰えることのなかった長距離砲の破壊力
こう振り返って見ると悪いイメージが先行してしまうローズだが、移籍先のオリックスでも実力が落ちることなく、2007〜2008年は40発以上のアーチを放ち、一振りで試合を決める豪快弾を披露している。
2009年にオリックスでプロ野球から引退したローズは、オハイオ州で家族とともにリタイヤ生活を満喫し、日本で稼いだビッグマネーで悠々自適に暮らしている。
公開日:2023.11.24