助っ人外国人列伝/巨人打者編
日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ投打の名選手各5名と、印象深い選手を投打から各1名紹介する。
シーズン40本塁打以上が7回。巨人にはわずか2年の在籍も、初年度45発でホームラン王に輝いたタフィ・ローズ!
【打者3位】李承燁(いすんよぷ)
〈NPB通算データベース〉
・打率 257
・本塁打 159本
・打点 439打点
メジャーを熱望していたアジアの大砲
打者編の第3位は「アジアの大砲」や「ライオンキング」など、数々の異名を持つ李 承燁(イ・スンヨプ)。もともとは投手として韓国リーグのサムソン・ライオンズに入団したがスンヨプだが、古傷が完治しなかったことから韓国人プロ野球選手の草分け的存在でNPBでも日本ハムや大洋などで活躍した白仁天の勧めで打者に転向した。
そして、王貞治のような一本足打法を習得するとプロ3年目から本塁打を量産し、26歳10ヵ月の世界最短で300号を達成。2003年には当時のアジア記録となる56本塁打を放ち、韓国球界で大スターとなった。
メジャー志向の強かったスンヨプだったがオファーは届かず、2004年からロッテでプレーする。1年目は日本投手の精密なコントロールに翻弄されて満足な結果を残せなかったが、2年目は広角に長打を打ち分ける打撃で30本塁打を放ち、2006年に満を持して巨人に入団した。
移籍1年目でキャリアハイの成績を残すが……
このとき30歳と選手として最高の時期だったスンヨプは、巨人の第70代4番打者として打棒を振るい、故障者続出のチームのなかでフル出場を続けて開幕戦から本塁打を放つなど暴れ回った。
指摘されていた打率の悪さや苦手としていた左投手を克服し、移籍1年目から打率・323、41本塁打、108打点と文句ない成績を残して存在感を示した。本塁打は大きな弧を描くアーチが特徴であり、この年のスンヨプは2022年の村上宗隆のように右へ左へと広角に快音を響かせていたものである。
しかし、シーズン終盤に痛めた膝の手術を受けると、2007年は肩や指などに炎症も併発して成績を落とすと雲行きが怪しくなる。2008年は北京オリンピックの韓国代表を優先したことでペナントに向けた準備が遅れ、同時に外国人枠の関係でスンヨプの出場機会が激減。
当時の巨人は先発ローテーションの柱だったセス・グライシンガー、守護神のマーク・クルーン、そしてアレックス・ラミレスとほかの助っ人たちが活躍し、スンヨプは第4の外国人枠となっていたのだ。
こうして出場機会が減ったスンヨプはたまに代打で出ても凡退を繰り返す日々が続き、そのため2010年は56試合出場、打率・163で5本塁打とかつての輝きが失われてしまった。
古巣で復活して国民的大打者に
こうして巨人を自由契約になったスンヨプは2011年にオリックスへ移籍するも全盛期からはほぼ遠い成績で日本球界を去り、悲願だったメジャー移籍が実現することはなかった。
ただ、スンヨプがすごかったのはこの後で、古巣のサムソンに復帰すると、2012年は打率・307、21本塁打の活躍で不死鳥のように甦り、韓国シリーズMVPに選ばれて優勝に貢献。
以降は2017年までサムソンの主軸として活躍し、日韓通算602本塁打、韓国リーグ新記録の1498打点など前人未踏の記録を残して現役を引退した。こうしてスンヨプは国民的大打者の地位を確固たるものにしたのである。2023年、スンヨプは5年ぶりにグラウンドに戻り、斗山ベアーズの監督に就任して指揮官として韓国リーグの現場に復帰している。
公開日:2023.11.28