東京五輪 バレーボール男子 清水邦広インタビュー
バレーボール日本代表で、東京オリンピックの12名に選出された清水邦広選手(パナソニックパンサーズ)にお話を聞いた。今回のメンバーで唯一のオリンピック経験者であり、最年長の清水選手。選ばれたときの気持ちや、ベテランとして心がけること、そして新人の高橋藍選手についてと、盟友福澤達哉選手について。
――まず五輪出場の12名に残れたと聞いたときの率直な気持ちをお聞かせください。
清水:率直にやはり嬉しかった。ですが北京オリンピックの時にも選んでいただいて、いざ本戦では役に立たなかった。ですので、選ばれたことだけでなく、本戦で活躍して勝つことが大事になる。ここがやっとスタートラインだと思います。そういった意味では気を引き締める、覚悟を持って戦わないといけないなと言う思いはすごく強くなりました。
――中垣内監督が紅白戦の頃からつどつど言われてきたのが、清水選手がVリーグの最中から、「代表では多分2枚替えがメインになると思うけれども、自分がチームでどんな役割であっても、全力を尽くす」と表明してこられたのをとても評価しているとのことでした。
清水:自分の仕事というのはどんな形であれ、12名に選ばれたら、そのチームの特色に合わせて発揮する。チームにはそれぞれ特色があります。パンサーズのチームの特色、代表のチームの特色に合わせてやっていけたらとずっと考えていました。それを評価していただいて嬉しいです。
――やはり中垣内さんの言葉なんですけど、清水さん自身は本来は本数を多く打って調子を上げていくタイプであると。だけど代表では2枚替えで安定して力を出してくれていると。ネーションズリーグでは西田選手の怪我もあって、スタートから出ることも多かったですね。久しぶりにスタートで戦った海外のチームとの手応えは。
清水:ネーションズリーグの目標が、世界ランキングで日本より下のチームにはしっかり勝っていくというものでした。その目標のように、ランキングで下のチームには力を出せたと思いますが、僕自身も含め、やはり強いチーム、世界ランキング上の相手ではなかなか自分の持ち味が出せなかった。ネーションズリーグで出た課題をしっかり調整してコンディションを上げていきたい。
――地上波のテストマッチのときにアナウンサーの方が「今のゴリ(清水選手の愛称)はただのゴリではなく、テクニカルゴリとなって進化してきた」と言われていましたが、ご自身でも年数を経て、ただ打ち付けるだけじゃないスパイクを身につけた?
清水:僕の中では、北京オリンピックから13年、怪我もあったり年をとっていったりしていきました。若い選手はフィジカルでも優れています。僕は35歳で、なかなかやはりフィジカルを上げることは難しいので、その分今までの経験を形にしたい。例えばブロックアウトであったり、ハーフアタック、8割とか6割の力で打ちながらポイントを取っていく。幅の広げ方はしてきたし、これからもしていきたい。
――北京五輪のときは21歳で最年少。東京五輪は35歳で最年長。北京のときは荻野正二さんという頼れるベテランがいました。同じ人ではないから同じことができるわけではないと思いますが、今、最年長としてチームにどのような影響を与えたいですか。
清水:やはりすごくプレッシャーの掛かる大会というのは重々承知しています。今まで味わったことのない重圧の中でプレーして、なおかつ結果を出していかなければならないというのがオリンピックの舞台だと思っています。その中で僕の姿勢であったり声掛けであったりでチームに貢献していきたい。練習を含めてですが、ベテランが率先して粘りのあるプレーを見せたり、声をかけていくことで、年下の選手も自然と「自分たちもやらなければ」という気持ちになるよう。僕は言葉というよりはプレースタイルで見せていきたい。ベテランがこれだけ頑張ってるんだから俺たちもやらなければという気持ちになってくれるよう、一心に練習、プレー、声掛けをしていきたい。
――バレーボールで最も重圧のかかる大会、その唯一の経験者として、「オリンピックってこういう大会なんだよ」ということは話したりしますか。
清水:いえ、これは実際に味わってみないとわからない。だから、少しはそのことについても話しますが、ことさらにはうるさく言ったりはしないです。今回の経験は、若い選手にとってはそれが終わりではないので。この先にパリオリンピックも、その次のオリンピックもあります。そこに出場していい結果を残すために、東京オリンピックはすごくいい経験になると思います。それを糧に、メダルを取る、さらに進化するためには東京オリンピックの経験はすごく大事になると思います。今はもちろんその東京オリンピックで最善の結果を出すこと。そのために経験者の自分ができることは、どの国も他の大会と違って目の色を変えて向かってくるというのを肌で知っていますから、それを伝えて、自分は平常心で臨みたいと思います。
――ネーションズリーグのように連戦ではないですが、1日おきにずっと試合があるタフなスケジュールですが、西田選手のコンディションもあるでしょうけれども、またスタートから行くこともあるのではないでしょうか。そのあたり心構えは。
清水:どんな状況であってもしっかり準備していきたいですし、準備する姿を選手スタッフ含め見せていきたい。先発だからどうしよう、後発だからどうしようというのではなく、どんな状況であれ、相手を倒すんだという気持ちで臨みたい。
――正直にぶっちゃけていただくとして、2年前の大怪我の時に、東京オリンピックは見えていましたか?
清水:いえ、そのときには見えてなかったです。怪我したときというのはバレーボール自体を諦めようと思っていました。そこからここまで来れたのは、本当に支えてくださったいろいろな方のおかげで、とても良かったと思っています。
――いろんなことがあった1年の延期ですが、1年前清水さんに取材したときは、「1年の延期をポジティブに捉えたい」とおっしゃっていました。1年経ってみて、実際は。
清水:うーん。今振り返ってみると、1年延期はネガティブでなくポジティブにがんばろうという気持ちでやってきましたけど、やはり若い選手の1年と、僕のような30代半ばの選手では1年の意味も違ってくる。若い選手の1年はフィジカルも技術もその1年で伸びる可能性がある。ベテラン、34歳、なおかつ怪我をして、ということになるとフィジカルを上げるのは非常に難しいですし、コンディションを保つことも非常に大変だった1年でした。それでも「オリンピックに出場するんだ。オリンピックで結果を出すんだ」ということをずっと目標にし続けて頑張ってきて、今それは間違ってはいなかったと思っています。
――現在のコンディションは。
清水:ネーションズリーグが3日やって3日空いてという非常にタフなスケジュールだったため、膝のコンディションは正直少しよくなかったです。それをうまくもう一度ベストなコンディションに持っていけるように、短い時間ですけど、何がプラスになるか考えながら調整します。
――いくつかの困難…北京全敗や、ロンドン五輪出場ならず、リオ五輪も同じく出場ならずというものを乗り越えての今回のオリンピック出場ですが、まずは目標は何なんでしょうか?
清水:まずメダルを取りたいという思いはすごく強いですが、それだけではこえられない壁もある。僕たち日本がオリンピック出場から13年間経っていますし、僕以外の選手はオリンピックの経験がない。そういう中で一足飛びにメダルをといってもなかなか厳しいところは正直あります。まずは北京オリンピックで果たせなかった予選通過。これが一つの鍵になります。予選を通過すれば、ベスト8、そのあと1勝すればベスト4。もう1勝したら決勝戦。何が起こるかわからないトーナメントの舞台まで行くことが一つの目標。最低でも2勝しないといけない。3勝4勝と予選で勝利数が上がれば、次の準々決勝が楽になる。予選通過を高い順位で。最低は予選通過することですね。
――予選ラウンドではポーランドと対戦します。チームでは非常に心強い仲間のクビアク選手や、Vリーグで戦うクレク選手もいます。相手に回すと非常に嫌な選手だと思いますが。
清水:クビアク選手、クレク選手。ポーランドは世界ランキングも強いし、メダルをとる力があるチーム。そういうチームに対して僕たちはどう戦っていけるのか。それがオリンピックで試される。いい勝負をしないといけないし、なおかつ勝っていかないといけない。どんな接戦であれ、最後の1点をとれば、どんでん返しができれば。最後の最後まで諦めず勝ちにこだわりたい。クビアクとはチームメイトですけど、オリンピックでは敵ですので、闘志を剥き出して戦っていきたいですね。
――オリンピックのメンバーには新戦力が何人かいましたが。特に高橋藍選手、どんな選手ですか。
清水:僕たちの若い頃に比べたら技術もありますし、度胸もあります。本当に素晴らしい選手です。僕たちが若い頃は、身近にネット環境がなかった。今はネット環境があって、世界のスーパースターのプレーをすぐ見れて真似してみようとできる。そういう環境があって、高橋選手のように素晴らしい選手が生まれたんじゃないかなと思いますね。
――福澤選手が12名から外れて、引退される。彼についてのメッセージを。
清水:言葉にならないくらい。福澤の話になると言葉に詰まることが多いんですけど。まず、(福澤選手が)12人に選ばれなかった、一緒に選ばれなかったのは僕自身すごくショックですし、福澤も相当ショックだと思います。選考前によく一緒に話をしたんですけど、最低でもどちらか一人、僕か福澤かどちらか一人が東京オリンピックに行ければ本望だなと。「それが俺じゃなくて清水で良かったよ」と言ってくれた。だから、福澤の分も背負って東京オリンピックを戦いたい。そういう気持ちはすごくあります。
出会ってから約20年くらい。学生の頃はライバルで、福澤の跡をずっと追いかけてきた。途中から仲間として、苦しいときもいいときも常に福澤と一緒に経験してきたことはすごく財産。福澤がいなかったらここまで成長できなかった。福澤が同世代にいて、一緒に喜んだり、ぶつかったこともありました。そういう仲であれたのはすごくよかった。福澤はバレーボール引退という形になりましたが、彼の道を陰ながら応援したい。福澤はバレーを応援する立場になると思いますが、僕は少しでも長く彼が応援する対象でいられるように。あと何年現役をやれるかわかりませんが、「清水まだやってんな(笑)」と思われるくらいに、福澤の分までバレーボール界でやっていけたらと思っています。
聞き手:中西美雁
写真:黒羽白、縞茉未、FIVB
清水邦広:プロフィール
福井県福井市品ヶ瀬町出身。ポジションはオポジット。V.LEAGUE Division1のパナソニックパンサーズ所属。愛称はゴリ。21歳の時に同い年の福澤達哉選手とともに大学在学ながらも北京五輪メンバーに選出。ワールドカップ、世界選手権などに複数回出場。2018年2月に選手生命を危ぶまれるような大怪我をしたが、懸命なリハビリを続け、2-18/19リーグで復帰し、パナソニック連覇に貢献した。
生年月日: 1986年8月11日 (年齢 34歳)
出生地: 福井県 福井市
身長: 193 cm
体重: 94 kg
情報提供『バレーボールマガジン』
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公開日:2021.07.26