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元ダイエー/ソフトバンク稲嶺誉が練習の虫で掴んだプロへの道とは!?【東農大オホーツク流プロ野球選手の育て方】

Text:樋越勉

練習の虫

稲嶺誉 2002年度卒ダイエー、ソフトバンク(2003-2007)

徳元と同じ沖縄水産でも稲嶺は朝から晩まで本当によく努力し練習した。ただ稲嶺も、もともとはヤンチャだった。ウチの大学にも最初は「行きたくない」と言っていた。沖縄水産のコーチが「なんとかします」と言ったので待っていたが、春のキャンプが始まってもいっこうにやって来ない。「どうなっているんだ」と沖縄水産のコーチにもう一回言うと、さすがにキャンプ途中からやって来た。

それでもプレーを見てみると素質の良さは一目瞭然だった。とはいえ途中からキャンプに参加した選手を一軍に置いておくわけにはいかないので当初は二軍に置いていた。そうすると、二軍を観た知り合いや他の監督が「監督、二軍に凄い子がいるよ」と口々に言ってきたほどだ。「知ってるよ。でも色々あるんだよ」と言うしかなかった(笑)。

しかし「ここでやる」と覚悟を決めたのか、チームに合流してからはいくらでも練習するようになった。彼も一回イップスになって悩みに悩んだこともあったが、練習が終わった夜6時から11時くらいまで学生コーチの青木と毎日ノックをしていた。バットも人一倍振ったし、努力家だった。

 

ある日、私が練習を終えてから息子の優一とともに、近所の温泉に行って夕食を取ってからグラウンドの横を通ると、周囲は真っ暗な中で練習する人影があった。そこで優一に観に行かせると「稲嶺のお兄ちゃんがまだ練習している」と驚いた様子で帰ってきた。その努力は決して裏切ることはなかった。彼の人生がかかっていたとも言える、ホークスのスカウトが視察していた練習でそれが生きた。最初は当てるようなバッティングばかりをしていたので「アピールのためにも放り込め!」と言ったら直後に柵越えを何本も打って、見事ドラフト指名にこぎつけた。

 

するといきなりルーキーシーズンから出場機会を得て日本シリーズにも出場した。だが、巨人・高橋由伸の打球に飛び込んだ際に頸椎を負傷してしまい、その後は思うように活躍できなかったのは残念だった。それでも彼は野球界に必要とされ、独立リーグのコーチを経て、今はソフトバンクのスカウトをしている。ノッカーを務めていた青木も、今は鍼灸師。人を助ける仕事が向いているようだった。

稲嶺といえば相当モテたし、友達も多かった。ある時、チームの名古屋遠征の時に雨の中でもずっとウチのチームを見ていた女の子がいた。どこから来たのか聞くと、なんと網走から来たと言う。それならばと私が車で駅まで送ってあげた。しかし後から選手に聞くと「あれは稲嶺の彼女ですよ」って(笑)。あいつの彼女なら送らなかった!

その子は漁師の娘で稲嶺と卒業後に晴れて結婚。現役引退後は漁師を継ぐという話もあったらしい。彼女の父親も地元の審判もされていて本当に良い方。素敵な奥さんをもらったと思う。また、日本シリーズが終わった後に稲嶺と飲んでいたら「友達を呼んでいいですか?」と言うので、「せっかくだからいいぞ」と返したのだが、気づけば20〜30人くらいの大宴会に。

 

「お前、何人呼んだんだ!」と聞くと「いやあ、3、4人なんですけど……」と頭をかく。沖縄らしく友人が友人を呼び、さらにその友人が友人を呼んだようだ(笑)。そんな分け隔てのない性格だったからこそ野球界にも残れたのかもしれない。ウチに入る前はいざこざがあったが「網走に来なかったら、僕は野球に没頭できなかったと思います」とのちに話してくれた。

 この代は小森と稲嶺に加えて三垣もいた。日本一を本気で狙っていたが残念ながら全国16強で終わった。彼らで結果を出せなかったのは、今も悔しい。

出典:『東農大オホーツク流プロ野球選手の育て方』著/樋越勉

『東農大オホーツク流 プロ野球選手の育て方』
著者:樋越勉

多くのプロ野球選手を輩出する北の最果て、北海道網走市にある東京農業大学オホーツクキャンパス野球部。恵まれた施設環境ではないにも関わらず、なぜ有力選手が育つのか⁉東農大学野球部のカリスマ、樋越監督の選手を見抜く眼力と、その育成術を紹介‼プロ野球選手の育て方、ドラフトへ送り込む手腕、練習環境の整え方などを、具体的に解説するプロ野球ファンや指導者必見の一冊。愛弟子の周東佑京のコメントも収録。

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