戦国武将の話

龍造寺隆信は、兵の数で勝りながら、なぜ敗死したのか?【戦国武将の話】
島津軍の得意戦術「釣り野伏」に敗れた 龍造寺(りゅうぞうじ)氏は肥前(ひぜん)の一地方勢力。隆信(たかのぶ)は家督相続から縁遠いと見なされ、7歳のときに出家する。しかし、隣接する少弐(しょうに)氏の手で一族の多くが謀殺さ […]

大友宗麟(義鎮)は、どうして九州の「三強」になれたのか?【戦国武将の話】
明との貿易で得た膨大な富を後ろ盾に 豊後(ぶんご)の大友宗麟(おおともそうりん)はキリシタン大名の代表格だが、宗麟がキリスト教に帰依(きえ)したのは、はじめてイエズス会宣教師と接してから30余年後のことだった。 宣教師を […]

信長の後継を勝ち取った中国大返し【戦国武将の話】
もちろん、秀吉による天下統一は織田信長による地ならしがあってはじめて成立し得たものだった。 本能寺の変が起きたのち、誰が信長の後継者となるかは流動的だったが、信長の仇(あだ)討ちをした者が優位に立てるのは自明だった。 北 […]

豊臣秀吉の、本来の姓は「木下」? 「羽柴」?【戦国武将の話】
結婚するまで姓を持たない雑兵だった 明智光秀と同じく、豊臣秀吉(とよとみひでよし)も織田信長に仕える前のことが、確かな史料からは認められない。 秀吉の本来の姓は木下(きのした)で、そこから羽柴(はしば)→豊臣と推移したと […]

戦国大名と家臣の役割分担【戦国武将の話】
戦国時代の家臣の役割分担は非常に細かく分かれていて、職名も武将によって異なりました。ここでは代表的なものについて、平均的な役職名とその仕事について解説します。 【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 戦国武将の話』 著者 […]

森 長可は、なぜ長久手であえなく討死したのか?【戦国武将の話】
奇襲作戦を見抜かれ、待ち伏せ攻撃を受けた 森長可(もりながよし)は織田信長の小姓として名高い森成利(なりとし)(蘭丸=らんまる)の実兄。父の森可成(よしなり)は美濃出身で、早くから信長に仕え、信長の上洛後は近江の宇佐山( […]

柴田勝家は、なぜ秀吉に決戦で敗れたの?【戦国武将の話】
戦場では「鬼」ながら、政争は大の苦手だった 織田信長は能力主義。使えない、用済みと判断した人間は目立った落ち度がなくても容赦なく切り捨てるが、使える人材は背(そむ)いても1度は許す。松永久秀がそうであったように、柴田勝家 […]

筒井順慶は、本当に洞ヶ峠で日和見を決め込んだ?【戦国武将の話】
家臣団の考えがまとまらず、居城から動くに動けなかった 斎藤道三や武田信玄のように、戦国大名が出家した例は珍しくはない。大和(やまと)の筒井 順慶(つついじゅんけい)はそれとは若干事情が異なり、僧侶にして僧兵でありながら、 […]

明智光秀は、浪人出身で住所不定だったって本当?【戦国武将の話】
近江田中城に住み医学の心得があったとの説も 明智光秀(あけちみつひで)は知名度の高さに反比例して不明な点が多い。生年も不明なら、出生地にしても現在の岐阜県と滋賀県の4カ所が名乗りを挙げており、父親の名にしても複数の説があ […]

武田勝頼の「長篠・設楽原の戦い」の敗因は「三段撃ち」?【戦国武将の話】
「三段撃ち」はなく、鉄砲・弓矢の雨に敗れた 武田勝頼(たけだかつより)は信玄の四男。名前に「信」の字が付かないのを見れば明らかなように、元服時には後継者の有力候補とは目されていなかった。 勝頼は諏訪(すわ)大社の神主を兼 […]

浅井長政は、なぜ織田信長との同盟を破棄したか?【戦国武将の話】
足利義昭からの密命があったという説が浮上 織田信長が岐阜城から上洛するには近江(おうみ)国を横断する必要があり、このとき南近江の六角(ろっかく)氏が敵対したのに対して、北近江の浅井(あざい)氏は全面的に協力した。浅井氏3 […]

松永久秀は、戦国時代を代表する梟雄(きょうゆう)だった?【戦国武将の話】
将軍殺しも主家への背反も火付けも濡れ衣だった 将軍を殺(あや)め、主家に背き、大仏殿に火をかける。松永久秀(ひさひで)は3つとも平然とやってのけたとされ、戦国時代を代表する梟雄(きょうゆう=残忍で勇猛なこと)扱いされる。 […]