1973年のセンバツ
十年一昔(じゅうねんひとむかし)という。世の中の移り変わりが激しいことのたとえだ。
そのでんでいくと、50年は大昔である。今から50年前の1973年、国内外で何が起きていたのか。
1月にはベトナム和平協定が成立、2月には1ドル=308円の固定相場制が変動相場制に移行した。
7月には日本赤軍によるドバイ日航機ハイジャック事件が、そして8月には金大中事件が発生している。
10月には第4次中東戦争勃の影響を受け、石油価格が高騰、深刻な物価高をもたらした。
スポーツの世界に目を転じると、“怪物”江川卓の甲子園デビューが、この年である。
作新学院(栃木)のエースとして、2年の秋季大会(栃木県大会と関東大会)では7試合全勝、53回投げて防御率0・00、奪三振率16・0、公式戦53回連続無失点など、とんでもない記録を残していた江川だが、甲子園にやってきたのは、3年の春が初めてだった。
怪物は噂にたがわぬ活躍を見せた。準決勝で敗れたものの、4試合で奪った60三振は、今も選抜記録である。
なにしろ初戦の北陽(大阪)戦では、5番の有田二三男が23球目をファウルするまで、誰も快速球をバットに当てることができなかった。
バットにかすった打球がバックネットを直撃した瞬間、スタンドからは大きな拍手が起きた。子供の中に、大人がひとり入って野球をやっているような印象だった。
江川には、知られざる大記録がある。高1と高2の夏の県予選で完全試合(烏山と石橋)を達成しているのだが、いずれも7月23日なのだ。これはギネスブックものだろう。
これだけでも驚きなのに、高3夏の県予選でも、江川は″準完全試合”の快投を演じている。7月25日の氏家戦だ。
江川の述懐――。
「1回2死後、3番バッターを三振に切って取った瞬間、キャッチャーがチョロッとボールをこぼしてしまった。そのまま一塁に投げたらアウトだったんですが、なぜかファーストがベースの前に出て捕球した。これでセーフ。振り逃げが成立して完全試合は幻に終わってしまったんです」
50年前に何をやっていたか。事細かく覚えている者はいないだろう。当時、四国の片田舎の中学生だった私もそのひとりだが、テレビを通じて見た江川の快速球だけは、還暦を3つも過ぎても、まぶたの裏に焼き付いて離れないのである。
※上部の写真はイメージです。
初出=週刊漫画ゴラク2023年3月17日発売号