背面跳びの考案者
これこそ「コロンブスの卵」である。誰も考えつかなかったことを、ひとりの人間が始め、成果を収めると、皆が真似し始める――。
スポーツにおける、その典型が、陸上走り高跳びの「フォスベリー・フロップ」である。日本では「背面跳び」として知られている。
この新技術の生みの親であるディック・フォスベリー(米国)が、さる3月12日、悪性リンパ腫により死亡した。76歳だった。
フォスベリーが「背面跳び」を考案するまで、走り高跳びの跳躍法の主流は、バーに向かって正面から助走し、腹ばいの格好で跳び超える「ベリーロール」だった。ちなみに「ベリー(belly)」は腹を意味する。フォスベリーも、高校で走り高跳びを始めた頃は、この跳び方をしていた。
しかし、当時のフォスベリーは凡庸な選手だった。さして記録も伸びなかった。途中からはさみ跳びに切り換えた。
ある日、オレゴン州立大学の工学部で学んでいたフォスベリーは、奇抜なフォームを思いつく。腰を浮かせて背中でバーを越えるというものだ。
不思議な練習風景を見ていたのが、元日本大学陸上競技部監督の澤村博だ。その独創的な跳躍法に、大きな衝撃を受けたと言われている。
実はフォスベリーには、「背面跳び」を完成させる上で、大きなアドバンテージがあった。彼にはバスケットボールの経験があったのだ。
遊び半分にジャンプシュートの要領で、身体を後方に倒しながら跳んでみると、これがうまくいった。
要は体の回転軸を前方から後方に変えるだけなのだが、フォスベリーには、このフォームがマッチした。
そして迎えた1968年のメキシコ五輪。フォスベリーは、自らが編み出した独自のフォームで五輪レコードとなる2メートル24センチをクリア、金メダルに輝いた。
それは身体能力の勝利ではなく、人間の想像力と創造力の勝利だった。
その後も跳躍法のイノベーションは続く。フォスベリーが考案した「背面跳び」は、さらに進化を重ね、93年7月、キューバのハビエル・ソトマヨルは、2メートル45センチの世界記録を叩き出した。
ソトマヨルの跳躍法は、踏切がベリーロール、空中フォームが背面跳びの“いいとこ取り”とも言われている。
ソトマヨルの世界記録は、30年経った今も破られていない。記録は塗り替えられるためにある。次なるフォスベリーの出現を待ちたい。
※上部の写真はイメージです。
初出=週刊漫画ゴラク2023年3月31日発売号