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北条氏康は、どうして関東の覇者になれたのか?【戦国武将の話】

Text:小和田哲男

河越夜戦の勝利により、関東の覇権を確立

戦国大名の北条(ほうじょう)氏は、鎌倉時代の北条氏と区別するため、小田原北条氏または後(ご)北条氏と呼ばれる。初代早雲の段階で伊豆(いず)・相模(さがみ)の2カ国を獲得。続く氏綱(うじつな)、氏康(うじやす)の2代がかりで武蔵・上野の2カ国をも支配下に収めた。

氏康といえば、天文15(1546)年の山内・扇谷の両上杉氏と古河公方の足利晴氏(はるうじ)を相手とした河越(かわごえ)の戦いが有名だが、氏康の才は軍事に限らず、内政面でも発揮された。

同19(1550)年以前、北条氏の領内では、年貢と棟別銭(むねべちせん)(家屋税)の他に、諸点役(しょてんやく)と総称される種々雑多な税が課せられ、徴収する側・される側ともに大きな負担となっていた。

氏康はそれを貫高(かんだか)(収穫高)の6パーセントの段銭(たんせん)と、4パーセントの懸銭(かけせん)棟別銭の3つに整理統合する税制改革を行ない、双方の負担を著しく軽減させた。誰でもできそうな改革だが、前例踏襲の悪弊(あくへい)から抜け出すには、やはり優れた君主による英断が必要であった。

特筆すべきはこれに留まらず、永禄2(1559)年には「北条氏所領役帳(やくちょう)」を作成させていることだ。これは軍事編成上の単位である衆(軍団)ごとに人数や知行(ちぎょう)貫高、知行の所在する郷村名などが列記された一種の土地台帳で、氏康は小田原にいながら、家臣団全体の実情を常に把握できた。

さらに氏康は、軍陣において気づいたことがあれば、身分の低い家臣でも直接意見できるようにするなど、風通しのよい統治を心がけた。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 戦国武将の話』
著者:小和田哲男  日本文芸社刊

執筆者プロフィール
1944年、静岡市生まれ。静岡大学名誉教授。文学博士。公益財団法人日本城郭協会理事長。専門は日本中世史、特に戦国時代史で、戦国時代史研究の第一人者として知られている。NHK総合テレビ「歴史秘話ヒストリア」およびNHK Eテレ「知恵泉」などにも出演、さまざまなNHK大河ドラマの時代考証を担当している。


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