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上杉謙信が、武田信玄に「塩を贈った」って本当?【戦国武将の話】

Text:小和田哲男

敵に塩を贈ったという史実はない

越後(えちご)の上杉謙信(うえすぎけんしん)は信州川中島(しんしゅうかわなかじま)で武田信玄と相対すること5回。永遠のライバルと呼ぶに相応しい両者だが、信玄が北条氏から塩の禁輸措置を食らって窮地に陥ったとき、謙信が義の精神から、武田領に塩を贈ったという故事は史実ではない。

とはいえ、海のない内陸国にとって塩の確保が死活問題であったことが事実なら、謙信の財政基盤が関税収入にあったのも事実だった。ここでいう関税の徴収場所は街道上の関所ではなく、柏崎(かしわざき)・寺泊(てらどまり)・直江津(なおえつ)などの港。そこに出入りする船から徴収したもので、船道前(ふなどうまえ)と呼ばれた。

謙信は49歳で亡くなるまで、大きな戦いだけでも70余回経験しているが、外政に限って見れば他の戦国大名とは若干性格を異にしていた。

関東に出陣すること13回を数え、そのうち8回は関東で新年を迎え、1回は北条氏の本拠地である小田原城を包囲している。しかし、それだけ莫大な資金と労力を投じながら、関東で所領を確保することはなかった。できなかったわけではなく、あえてしなかったのである。

その理由は、謙信の関東への遠征が、上杉憲政(のりまさ)から譲られた関東管領としての責務を果たすためだったからで、謙信にとって大事なのは実利よりも大義や面目(めんもく)であった。

川中島への遠征も所領の拡大ではなく、武田信玄により信州を追われた諸将の要請に応えるためのもので、謙信の存在と行動原理は数ある戦国大名のなかでも極めてユニークだった。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 戦国武将の話』
著者:小和田哲男  日本文芸社刊

執筆者プロフィール
1944年、静岡市生まれ。静岡大学名誉教授。文学博士。公益財団法人日本城郭協会理事長。専門は日本中世史、特に戦国時代史で、戦国時代史研究の第一人者として知られている。NHK総合テレビ「歴史秘話ヒストリア」およびNHK Eテレ「知恵泉」などにも出演、さまざまなNHK大河ドラマの時代考証を担当している。


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