不垢不浄(ふくふじょう)
「六不」の続きは「不垢不浄」です。「垢(あか)がついて汚れることもなければ、きれいになることもない」という意味です。
ふつうの世界に暮らす私たちの常識からすれば、あり得ないことです。生きていれば垢がつき、入浴してきれいにします。私たちはそういう世界に生きています。ところが、これも不生不滅と同じで、観自在菩薩は「起こらない」と説くのです。
自分にも法にもとらわれないヴィジョン
本書でたとえている4階建ての建物は、実はある仏伝レリーフがヒントです。お釈迦様がはじめて説法をされた場所として知られるサールナート(インド北東部)の考古博物館にあるレリーフで、お釈迦様の誕生、修行、初説法、入滅(にゅうめつ)(逝去)の様子が、4階建ての建物のような構図に描かれています。これをヒントに、〈私〉の象徴としたのが4階建てのたとえです。
その2階、世間のフロアでは、当然、絶えず垢がついたり、きれいになったりしています。3階では、自己は解体されていますが、諸法が垢づいたり、浄化されたりしています。
それを4階で見れば、自己も諸法も枠組みすらなくなっているので、「垢づくことも浄化することもない」というのが、この部分の意味です。
自分という枠組みがあるからこそ苦しみが生まれます。それを手放すことができても、「法」にとらわれると、大切なものを見失いかねません。「もっと見晴らしのいい上層部があるよ」と般若心経は語りかけているのです。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 般若心経』
著:宮坂宥洪 日本文芸社刊
執筆者プロフィール
真言宗の僧、仏教学者。1950年、長野県岡谷市生まれ。高野山大学仏教学科卒。名古屋大学大学院在学中、文部省国際交流制度でインド・プネー大学に留学し、哲学博士の学位取得。岡谷市の真言宗智山派照光寺住職。
【書誌情報】
今、人気の空海(真言宗)をはじめ、最澄の天台宗、臨済宗、曹洞宗で読まれている「般若心経」。写経を中心に長く人気を博している般若心経だが、まだまだ「難しい」「よくわからない」といったイメージを持たれることも多い。今回は、現代語訳をしっかりと解説しつつも、私たちの実生活と結びつけながら、その思想や意図するところをわかりやすく解き明かしていく。
公開日:2022.01.22