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六根と呼ばれる「六つの感覚」がない【般若心経】

Text:宮坂宥洪

無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんに)

インドでは、お釈迦様の入滅後、100年以上たってから、諸法を精せい緻(せいち)に分析していくことが盛んに行われました。

それは、「〈私〉とは何か」という問いに答えたもので、結論としては、「〈私〉を分析していくと、さまざまな要素の仮の集合体にすぎなくなる」というところに行き着きました。

集合している要素の、一つの解釈が「五蘊」ですが、ほかにも「十二処(しょ)」というものに〈私〉は解体できると研究者たちは考えました。それが、般若心経のこの部分に深く関係しています。

五感+意識を〈私〉の根拠と考えた

「処」は、サンスクリット語の原意から、「〈私〉の根拠」と解釈できます。十二処のうち六つは、人間に備わった「視覚、つの感覚機能です。

これを六根(ろっこん)、または六内処(ろくないしょ)といいます。六根を象徴的に示したのが「眼・耳・鼻・舌・身・意」の6文字です。

ちなみに、修験者(しゅげんしゃ)が山登りをするときは「六根清浄(ろっこんしょうじょう」と唱えます。これは、六根がそれぞれの対象(見るもの・聞くもの…)への執着を断って清められるという意味で、「どっこいしょ」の語源ともいわれています。

般若心経のこの部分では、その六根が「ない」といいきっています。五感や意識を否定したり、眼や耳などがなくなるといったりしているのではありません。〈私〉の要素としての六根に執着する考え方に対し、それすらも「ない」といえる次元があることを教えているのです。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 般若心経』
著:宮坂宥洪 日本文芸社刊

執筆者プロフィール
真言宗の僧、仏教学者。1950年、長野県岡谷市生まれ。高野山大学仏教学科卒。名古屋大学大学院在学中、文部省国際交流制度でインド・プネー大学に留学し、哲学博士の学位取得。岡谷市の真言宗智山派照光寺住職。

今、人気の空海(真言宗)をはじめ、最澄の天台宗、臨済宗、曹洞宗で読まれている「般若心経」。写経を中心に長く人気を博している般若心経だが、まだまだ「難しい」「よくわからない」といったイメージを持たれることも多い。今回は、現代語訳をしっかりと解説しつつも、私たちの実生活と結びつけながら、その思想や意図するところをわかりやすく解き明かしていく。

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