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無知や迷いはなく、それらの消滅もない【般若心経】

Text:宮坂宥洪

無無明 亦無無明尽(むむみょう やくむむみょうじん)

先に、「仏教でいう『法』は、お釈迦様の成道によって明らかにされた『物事のつながり』という意味でも使われる。それを説くのが説法」だと述べました。お釈迦様は、ブッダガヤーの菩提樹の下で悟りを開かれたあと、サールナート(先に紹介した仏伝レリーフのあるところ)ではじめての説法をされました。この出来事を「初転法輪(しょうてんぽうりん)」といいます。

 

般若心経のこの部分は、初転法輪の内容と深く関わります。

人間の苦は無知や迷いから始まる

 

人はなぜ苦しむのか。お釈迦様はその原因を追究し、苦が生まれる因果系列をつきとめます。それを十二縁起(十二支縁起、十二因縁)といいます。

 

十二縁起は、苦が生じる12の過程を描いたもので、出発点は「無明(むみょう)」です。無明は明知(めいち=知がある)の対義語で、「無知なこと」や「迷い・煩悩があること」をいいます。

無明から、連鎖反応のようにいろいろなものが生まれることが、人の苦の根源だと、お釈迦様は見極めました(十二縁起の内容は次項参照)。無明がなくなれば、次々に苦の原因がなくなります。

十二縁起の各要素がなくなることを「滅尽(めつじん)」といい、無明がなくなることを「無明尽」といいます。

ところが、この大事な説法で触れた「無明」も、「無明尽」も、般若心経では「ない」といいます。原典では、無明の対義である明知も、それがなくなることも「ない」と述べています。十二縁起に関わる般若心経の記述は、さらに続きます。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 般若心経』
著:宮坂宥洪 日本文芸社刊

執筆者プロフィール
真言宗の僧、仏教学者。1950年、長野県岡谷市生まれ。高野山大学仏教学科卒。名古屋大学大学院在学中、文部省国際交流制度でインド・プネー大学に留学し、哲学博士の学位取得。岡谷市の真言宗智山派照光寺住職。

今、人気の空海(真言宗)をはじめ、最澄の天台宗、臨済宗、曹洞宗で読まれている「般若心経」。写経を中心に長く人気を博している般若心経だが、まだまだ「難しい」「よくわからない」といったイメージを持たれることも多い。今回は、現代語訳をしっかりと解説しつつも、私たちの実生活と結びつけながら、その思想や意図するところをわかりやすく解き明かしていく。