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土間から畳敷きへ!日本流の寺院の建築法とは?

寺院にも生活感を取り入れるのが日本流

日本に仏教が伝えられた当初、寺院は中国の建築を範として建てられた。礎石の上に朱に塗られた柱が立ち、屋根には瓦が葺かれた。今ではごく当たり前の寺院風景だが、当時は宮殿でさえ掘っ立て柱に板葺きの屋根であったので、寺院建築は(とくに五重塔などは)超高層建築に見えたことだろう。堂内はすべて土間で、金堂は仏のための空間とされ、参詣者が礼拝する場所などはなかった。こうした大陸的な寺院の景観は、平安時代になって変化をみせる。皇族や上流貴族出身の僧が寺院内に貴族的な生活を持ち込んだのだ。

彼らが住む子院には寝殿造を取り入れた殿舎が建てられた。当然それらの建物は土間ではなく床が張られていた。院政期になると上皇(法皇)らは自らの邸宅の敷地内に寺院を建立した。貴族たちも屋敷の内に仏堂を建てた。こうして寺院は生活空間に取り込まれていくことになった。ところが、このような風潮への反発からか、鎌倉時代に入って次々と創建された禅宗寺院は、建築はもちろん寺内の規律、生活の仕方に至るまで中国式であった。来日した禅僧が住職になる例が多かったので、寺内の標準語が中国語というところも多かったであろう。

しかし、そうした禅宗寺院も塔頭から和風建築化していった(104ページ参照)。鎌倉時代には東大寺大仏殿の再建に伴って大仏様という巨大建築向けの技術も輸入された。大仏様そのものは日本には定着しなかったが、部分的な意匠としては広く取り入れられ、神社建築でも使われるようになった。鎌倉新仏教の隆盛は寺院建築にも大きな影響を与えた。ただし、それが表面化してくるのは鎌倉時代ではなく、室町時代後半以降のことだ。庶民の中に広まることによって信仰圏を全国に広げていった鎌倉新仏教は、庶民の家が寺院や布教所として使われることも多かった。そうしたところは正式な寺院に発展した後も住宅の要素を残していた。全体が畳敷きとされた本堂はこうした寺院の中から成立してきたと思われる。こうして日本独特の寺院建築が確立したのである。

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』
監修: 渋谷申博

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公開日:2021.08.31