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劉備、呂布に抗すべくもなく逃げ込む【図解 三国志】

Text:澄田 夢久

三国志の主役たちが続々登場

袁術は、劉備が上奏し、自領の揚州淮南に攻め寄せてくるとの曹操の偽報を信じ、返り討ちにせんと紀霊に十万の兵を与えて徐州へ進撃させた。ところが、案の定、呂布はその隙を狙って徐州の下邳城を奪ってしまう。袁術は、その報を得るや呂布に使者を遣わし、食糧や馬、金銀などを与えるので劉備を挟み撃ちにしようぞ、とけしかけた。呂布は袁術の誘いに乗った。

だが、やはり奸佞の袁術だ。約束は空約束。呂布は、ならばと劉備に徐州に戻るように使者を送る。結局、劉備は徐州を呂布に明け渡し、自分は呂布に与えていた小沛城に入るしかなかった。

袁術は、劉備を討ち滅ぼせなかったものの満足満足の大宴会。そこに孫策(字は伯符)が、叔父の呉景が揚州刺史の劉繇に攻められている。ついては「伝国の玉璽」を形に、数千の兵を借り受けたいと申し入れてきたのである。

袁術はほくそ笑み、玉璽を手にして孫策に兵を貸し与えた。孫策は、袁術の腹黒さを知らず、満面謝辞。軍卒を率い、朱治、呂範、亡父孫堅の旧将、程普、黄蓋、韓当らを引き連れて出撃。幸運にも進軍中に、同齢で義兄弟の契りを結んでいた、姓は周、名は瑜、字は公瑾と出会う。

周瑜は「兄者の旗揚げだ。一緒に行かずにどうするのか」と参陣する。加えて「江東の二張」と敬されていた徐州出身の名士、張昭(字は子布)、広陵出身の張紘(字は子綱)を招聘させたのである。

劉繇との一戦は、張昭の策が当たり、孫策の大勝に終わった。破竹の勢いの孫策は、一連の戦いによって長江下流域の江東地方を手に入れていくことになる。孫策は、各所に部将を配置して要害を守らせ許都の朝廷へ上申して曹操と誼よしみを結ぶ。袁術には復命して玉璽の返却を要請したが、袁術は無視。

孫策は、各所に部将を配置して要害を守らせ許都の朝廷へ上申して曹操と誼よしみを結ぶ。袁術には復命して玉璽の返却を要請したが、袁術は無視。

袁術は、劉備を屠るために呂布に援軍させるべく、今回は呂布に食糧や財物を送った。呂布は参謀となっていた陳宮の慧眼もあって袁術の策にらず、一度は劉備と袁術軍紀霊との和解を為さしめた。だが、張飛との諍いが契機となり、呂布は小沛城を攻撃するのである。

劉備は、呂布に抗すべくもなく、一路、曹操を頼って許都に逃げ込んでいく。果たして、劉備を討たんとしていた曹操は、受け入れるのか。昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵、利する価値あれば、ただいまは懐深く、窮鳥を籠に囲い餌を与えるのである。

曹操は、その意味においては紛れもなく思慮深く、果断でもあり、「胆は大ならんことを欲し、 心は小ならんことを欲す」という、いわゆる「胆大心小」の英雄であった。曹操は、 その通りに「いまは英雄を用いるときだ」として、劉備を豫州牧に任命して赴任させ、次いで呂布に攻め込まれた小沛に進駐させた。

『図解 三国志』はこんな人におすすめ!

・中国の古い歴史に興味がある!
・昔の人は何のために争っていたのか?
・三国時代や格言について学びなおしたい

と感じている方には大変おすすめな本です。

魏・蜀・呉、三国の興亡を描いた『三国志』には、「桃園の誓い」「三顧の礼」「出師の表」「泣いて馬謖を斬る」など心打つ名場面、また「水魚の交わり」「苦肉の策」「背水の陣」「髀肉の嘆」など名言や現代にも通じる格言も数多く登場する。また、曹操、劉備、孫権、孔明、関羽、張飛、趙雲、周瑜、司馬懿など個性豊かで魅力的な登場人物に加え、官渡の戦い、赤壁の戦い、五丈原の戦い等、歴史上重要な合戦も多い。英雄たちの激闘の系譜、名場面・名言が図解でコンパクトにすっきりわかる『三国志』の決定版!

シリーズ累計250万部を突破した「図解シリーズ」の読みやすさ

図解シリーズは、右側に文章、左側に図解で解説という形で構成されているので、本が苦手な人にも理解しやすい内容です。

図解シリーズには、健康・実用だけではなく大人の学びなおしにピッタリな教養のテーマも満載。さくっと読めてしまうのに、しっかりとした専門家の知識を身につけることができるのが最大の魅力です!

気になる中身を少しだけご紹介!中国では、「革命」によって新たな王朝に禅譲されるのが約束事

『三国志』は「紀伝体」で書かれました。帝の記録「本紀(略して紀)、それ以外の人物の記録「列伝(略して伝)」で構成される歴史書です。陳寿は『三国志』を書くに際してあれこれ惨憺したらしい。魏の曹操(155~220)没後、息子の曹丕(187~226)が皇帝を名乗り、であればと蜀の劉備(161~223)、次いで呉の孫権(182~252)も皇帝を名乗った。

でも、三国に帝(皇帝)がいるというのは古来の中国ではあってはならないこと。天が命じた天子に地上を治めさせるので、天子は一人でなければならなかった。しかし、その天子が徳を失えば、徳のある天子に禅譲することになります。だから陳寿は、後漢の献帝(181~234)から禅譲(実際は簒奪)されたとする魏を正統とすることによって、魏から禅譲(これも簒奪)されたとする西晋を正統とせざるを得ない。

ほんとうは後漢の正統を継いでいるのは、漢王室の末裔とされる劉備が興した蜀と思っていても、陳寿はそうは書けない。故国蜀の滅亡で晋に職を求め、史官として三国の歴史を書くために仕えている身としては、晋朝廷から覚えめでたくあらねばならない、きっとそう悩んだ。

結局、陳寿は「魏書」に「本紀」を置かざるを得ず、「武帝紀(曹操)」「文帝紀(曹丕)」から最後の皇帝「元帝紀(曹奐)」まで著しました。じゃあ、劉備や孫権をどう扱ったか?「蜀書」に「先主伝」を立て、劉備を“先主”と呼ぶ一方、「呉書」の「呉主伝」では孫権は一貫して“権”。「列伝」では当該人物名を生前名の諱で呼ぶのが原則なのに、劉備に関してはその慣例を無視。まさに陳寿は蜀びいきなんですね。

★三国志演義の物語
★赤壁の戦いの真実とは?
★三国志の始まりとは
★知っておきたい軍事制度とは

などなど気になるタイトルが目白押し!

『三国志』には、心打つ名言や現代にも通じる格言が多くあります。曹操、劉備、孫権、孔明、関羽、張飛、趙雲、など魅力的な登場人物に加え、官渡の戦い、赤壁の戦い、五丈原の戦い等、名場面を図解でわかりやすく解説しているので「三国志」の学び直しに是非読んでいただければ幸いです。

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