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朝廷混迷が群雄台頭のお膳立て【三国志】

Text:澄田 夢久

群雄割拠の時代へ

さしもの威勢を誇った黄巾賊ではあったが、首領の張角が病死し、張梁は皇甫嵩に討たれた。張宝も朱儁に押しまくられ、命惜しさの賊将の一人に刺殺された。こうして中平元年(184)二月に蜂起した「黄巾の乱」も、その年の末に叛旗を下ろしたのだった。

といって、反乱が完全に収束したのではなかった。黄巾賊の残党や群雄が各地で反乱の狼煙を上げ、跳梁し始めたのだ。

黄巾賊の生き残りで略奪を働く白波 、呼応して張燕率いる群盗黒山、涼州で反乱を起こした群雄の馬騰や韓遂などが跋扈し、後漢の衰勢に歯止めはかからなかった。そのため、地方の平和は乱れ、世は無きに等しいものとなっていたのだ。

では、なぜ「黄巾の乱」が起きたのか?最大の原因は、後漢王朝の腐敗にあった。光武帝(劉秀)が漢王朝を再興し、豪族を支配階層に取り込んだ「寛」の治世も、四代和帝の時代から崩壊の兆しを見せていた。政に外戚と宦官が関わり始めたからである。

外戚とは皇帝の母方の一族、宦官とは常に皇帝のそばに侍べる者。和帝以降、短命な皇帝が多くなったことで幼帝が即位するようになり、外戚が政務を執った。だが、幼帝も長ずると外戚が疎ましくなる。名ばかりの皇帝では腹立たしい。外戚から権力を奪い返さねばならぬ。

そこで暗躍するのが宦官だった。こうした権力闘争の繰り返しで、後漢朝廷の政権は、幼帝時代には外戚が、幼帝が成長すると宦官が権力を掌握という歪んだ政治がおこなわれるようになったのだ。

外戚や宦官の多くは、政治を私物化し私腹を肥やす。いきおい政権は腐敗していった。郷挙里選(官僚登用制度)によって地方から中央に推挙され、儒教の徳目を身につけている官僚たちは、外戚や宦官の私物化に激しく抵抗したが、ことごとく皇帝の権力を笠に着る宦官らの勝利に終わる。

しかも、外戚や宦官は、郷挙里選においても自分たちの一族や息のかかった人物を推挙するように仕向けていく。

腐敗政権の皺寄せは、当然のごとく農民へ向かう。搾取に疲弊した農民たちは、「漢の天下は終わった」と説く張角の「太平道」信仰へと吸い込まれていく。「黄巾の乱」は、そうした朝廷政治の堕落に、農民が叛旗を翻した戦いでもあったのだ。

その黄巾賊も霧散。だが、歴史は次のステージを用意する。中国史上、類例を見ない天下簒さん奪だつレースが始まるのである。諸侯の群雄化であった。

董卓、袁紹、袁術、曹操、公孫瓚、馬騰、韓遂、孫堅、呂布、劉焉、劉表……そして劉備。『三国志演義』は、彼ら群雄の虚々実々の腹の探り合いと討滅戦を物語っていくことになる。

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 三国志』
著:澄田 夢久 監修:渡邉 義浩

シリーズ累計発行部数160万部突破の人気シリーズより、「三国志」について分かりやすく解説した一冊。魏・蜀・呉、三国の興亡を描いた『三国志』には、「桃園の誓い」「三顧の礼」「出師の表」「泣いて馬謖を斬る」など心打つ名場面、また「水魚の交わり」「苦肉の策」「背水の陣」「髀肉の嘆」など名言や現代にも通じる格言も数多く登場する。また、曹操、劉備、孫権、孔明、関羽、張飛、趙雲、周瑜、司馬懿など個性豊かで魅力的な登場人物に加え、官渡の戦い、赤壁の戦い、五丈原の戦い等、歴史上重要な合戦も多い。英雄たちの激闘の系譜、名場面・名言が図解でコンパクトにすっきりわかる『三国志』の決定版!