文醜が罠にはまって関羽に斬らる
さて、袁紹と曹操の衝突を優先したため、〝小覇王〞こと孫策の動きを後回しにした。その孫策だが、「白馬の戦い」と同時期の建安五年(200)四月、夢を儚くしていたのである。孫策は、まだ若い二十六歳だった。袁術と絶縁した孫策は、着々と勢力圏を広げていった。江東を押さえたあと、揚州の蘆江を攻略、豫州太守の華歆も降らせ、江南五郡をわがものとした。
孫策の威勢を恐れた呉郡太守の許貢が、「孫策は、高祖と死闘を繰り返した項羽のごとくの人物だ。のちの禍になるので都に召し寄せるに如しくはない」との密書を許都の曹操に送るべく使者を立てた。それが孫策に露見し、許貢は殺される。ところが、許貢の食客だった三人が、仇討ちを報じて狩りに遊ぶ孫策を襲撃。孫策は深傷を負ったものの死地を脱けた。なのに、その後、道士の于う 吉きつが妖術で世を惑わすとして斬り捨てたことで祟られ、苦悶のうちに落命するのである。
死に臨んで孫策は、張昭ら重臣に弟孫権の補佐を頼み、孫権には次のような言葉を遺す。
「お前は、兵を率いて戦場を駆け、天下を争うような戦いでは、俺に敵かなわぬ。だが、有為な人物を用いて江東を守り抜くことにかけては、俺はお前に適わぬ。臣下を重用し、その言を重んじて父や俺が築いてきた江東を固く保て」
こうして孫策は「三国志」から退場した。跡を継いだ孫権は十九歳である。堂々たる風采で、髭が紫、眼が碧あおかったため、「碧眼児」と呼ばれた。
曹操は、孫策が死に、孫権が後継となったことを知ると、献帝に上奏して孫権を将軍に封じ、揚州会稽太守を兼任させる。孫権の登場で、ようやく、のちの三国、魏・蜀・呉の総攬者三人が揃ことになる。
歴史が、そんな構図を用意しているとは誰も知らない建安五年十月のいま、曹操と袁紹は死力を尽くして官渡で戦い、袁紹が敗れ去った。その翌年四月、倉亭を守備していた袁紹軍が、またしても曹操軍に破られる。
袁紹は面目を失い、威名は黄河の濁水に塗まみれた。名声を失墜した袁紹の河北に、反乱が頻々と起こる。袁紹は、膝元に這い上がる虫を叩き潰さなければならない。ようやく鎮圧したのが建安七年(202)。だが、そのとき袁紹は、死病に取り憑かれていた。六月、薬石効なく大吐血し、表舞台から去っていった。享年四十九。
袁紹の死に、河北の農民は嘆いたという。袁紹が仁政を布しいていたからである。戦いなどでは決断に躊躇う弱さを持つ袁紹だったが、治世ではよく務めた。名士を尊重し、意見を聞き、儒教の倫理に従う、なかなかの君主だったのだ。だが、死に臨んで、後継を決めなかったことが、やがて曹操に袁氏が滅ぼされる起因となったのである。
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 三国志』
著:澄田 夢久 監修:渡邉 義浩
シリーズ累計発行部数160万部突破の人気シリーズより、「三国志」について分かりやすく解説した一冊。魏・蜀・呉、三国の興亡を描いた『三国志』には、「桃園の誓い」「三顧の礼」「出師の表」「泣いて馬謖を斬る」など心打つ名場面、また「水魚の交わり」「苦肉の策」「背水の陣」「髀肉の嘆」など名言や現代にも通じる格言も数多く登場する。また、曹操、劉備、孫権、孔明、関羽、張飛、趙雲、周瑜、司馬懿など個性豊かで魅力的な登場人物に加え、官渡の戦い、赤壁の戦い、五丈原の戦い等、歴史上重要な合戦も多い。英雄たちの激闘の系譜、名場面・名言が図解でコンパクトにすっきりわかる『三国志』の決定版!
公開日:2020.12.21
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