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「西戎(せいじゅう)の覇者」と呼ばれた穆公(ぼくこう)【始皇帝の話】

Text:渡邉義浩

奴隷出身の百里奚(ひゃくりけい)の提案で、西への領土拡大に成功した秦国

諸侯の中では異端扱い、やや格下の扱われ方をしていた秦国を飛躍させたのは第9代の君主、穆公(ぼくこう)です。

前659年に君主となった穆公は奴隷出身の百里奚(ひゃくりけい)を登用します。そして、百里奚の提案により東の中原(ちゅうげん)を標的とせず、むしろ逆方向の西に広がる異民族の地を服属させて領土を拡大させました。

この百里奚は秦出身ではなく、晋の公族の娘が穆公に嫁いだときに、奴隷として娘に付いてやってきた人物といわれています。異国人の百里奚によって秦を強くした穆公は、非常に器の大きな人物でした。

愛馬が逃げ出し、その馬を山の民が食べてしまったときも怒りませんでした。その大らかさに感動した山の民は、晋との戦いで援軍として駆けつけて穆公の危機を救ったという伝説があります。

人材を見抜く目を持ち、相手の身分や出身国にこだわらず手厚く用いた穆公は、やがて「西戎の覇者」と呼ばれるまでになりました。

前621年に穆公がこの世を去った際は、その死を惜しんで家臣177名が殉死(じゅんし)したと伝わっています。この穆公の代に、西へと広がる広大な土地を獲得した秦は、さらなる国力の強化に乗り出していくのです。

百里奚:穆公は奴隷出身の百里奚を宰相まで登用。当時の諸国の君主たちは、氏族制にもとづいた序列を無視してまで人材を活用することにおよび腰だったので、異例のことだった。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 始皇帝の話』
著者:渡邉義浩  日本文芸社刊

執筆者プロフィール
1962 年東京生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。文学博士。現在、早稲田大学理事・文学学術院教授。大隈記念早稲田佐賀学園理事長。三国志学会事務局長。専門は古代中国思想史。主な著書・監修本に『眠れなくなるほど面白い 図解 三国志』(日本文芸社)、『始皇帝 中華統一の思想―「キングダム」で解く中国大陸の謎』(集英社新書)、『教養として学んでおきたい三国志』(マイナビ新書)などがある。


紀元前246年、13歳で即位し、史上初めて中国を統一して500年の争乱の歴史に終止符を打った秦の始皇帝。歴史に残るその戦いと数々の偉大な功績、また謎に満ちた生涯、始皇帝を支えた多くの忠臣を、最新研究をもとに図解、イラストを交えてわかりやすく解説する。人気マンガ『キングダム』でも脚光を浴びた「始皇帝」の人物像と中華統一や数々の偉業の謎と軌跡に迫る。

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