第3回 僕が「変則左腕」に転向した理由
ドラフト3カ月前に、サイドスロー転向を決断
プロ野球の世界で8年間プレーしている僕ですが、メディアやファンの方々から、こう呼ばれることがあります。
変則左腕――。
左投手で、なおかつ「普通」の投手よりも腕の角度が下がる……いわゆるサイドスローと呼ばれる投げ方なので、こういう言われ方をすることが多いのですが、実はドラフトで指名される3カ月前の2016年6月までは、僕も「普通」の投手と同じように上から投げていました。
高校も大学も、社会人入りしてからもずっと上から投げていたんです。ではなぜ、ドラフトを控えた大事な時期にもかかわらず、いきなりサイドスローに転向したのか。
理由はめちゃくちゃシンプルで、単純に結果が出なかったからです。社会人のJX-ENEOSに入団して以降の僕は、自分の思うような投球ができず、試合でもほとんど投げることができませんでした。
「このままでは終わる」
そう思った僕は、思い切って腕のアングルを下げることを決めました。フォームを変えることは投手にとってもかなり重要な決断ですが、実は僕自身、そこまで大きな葛藤はありませんでした。
だって、試合に出てすらいないんですよ?これは野球の世界に限ったことではないですが、需要のないところに供給は生まれません。少なくとも当時のチームにとって「上から投げている高梨雄平」の需要はなかった。売れない商品をいくら作っても無駄なのと同じように、使ってもらえないのに自分の投げ方にこだわり続ける理由は、ひとつもありませんでした。
シュートの「価値」
2016年は社会人2年目の僕にとって「ドラフト指名の解禁年」でもありました。もちろん、プロに行きたい気持ちはありましたが、あの時はそれよりも「どうやったらチームに求められるか」「どうやったら試合で投げられるか」という思いのほうが強かった気がします。
当時のチームメイトに、今は日本ハムでプレーしている鈴木健矢がいたので、彼にいろいろと教えてもらいながらサイドスローへの転向を模索しました。ただ、彼は右投手で僕は左投手。感覚の違いなどもあって、すぐに「しっくり」来たわけではありません。
自分では思いっきり横から投げているつもりなのに、映像で見返すとまったく腕が下がっていない。自分の感覚と動きが乖離していたんです。
当時の映像は今も動画投稿サイトなどに残っているかもしれないので、気になる方はチェックしてみてください。言われるほど「左の変則サイドスロー」ではなかったはずです(笑)。
実は、この違和感はプロに入ってからも続いていました。自分の中でしっかりと横から投げられる感覚が身についたのはプロ2~3年目くらいだったと思います。
話を少し戻しますね。サイドスローに転向した僕には、実はもうひとつ大きな問題がありました。それは「スライダーがまったく曲がらない」こと。最初は正直、ヤバい……と思いましたが、出来ないことにいつまでも固執していても時間が経過するだけなのでスライダーが曲がらない状態を逆手にとって価値を生む方法に切り替えました。
それがすぐに投げることのできたシュートの連投です。当時のプロ野球を見渡しても真っ直ぐとスライダーの球種構成のサイドハンドばかりだったので、ブルーオーシャン(※)である真っすぐとシュートで左打者のインサイドをガンガン突くスタイルは実際の実力より目立つのではないかと仮説を立てたのです。
※ブルーオーシャンとは?
参入企業のない未開拓市場のこと。『日経ビジネス経済・経営用語辞典』の中で定義されている。
誤解を恐れずに言えば当てても仕方がないと思っていました。(当時の社会人野球の打者はインサイドは避けずに当たって出塁してくる文化が多少ありました)
そして、登板を重ねていくと、目論見通り『価値』が生まれてきていることを実感したのです。
そこに目を付けてくれたのが東北楽天ゴールデンイーグルスでした。当時は左のリリーフが手薄なチーム状況もあって、僕はサイドスロー転向からわずか3カ月で楽天からドラフト9巡目指名を受けることになります。
プロ入りへの思いやドラフト指名時に僕がなにをやっていたのか――。それは、次のコラムでお話しようと思うので、読者のみなさん、ぜひ次回もお楽しみに!
公開日:2024.08.15