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ラグビー宿命のライバル対決

Text:橋本雅生

早稲田大学×慶応大学

今でこそスポーツ界は、野球やサッカーなどプロリーグが当たり前だが、そもそも日本のスポーツは大学の対抗戦を中心に盛り上がりを見せていた歴史がある。その中心にいて、現在もライバル対決を繰り広げているのが早稲田大学と慶応大学だ。ラグビーの礎は両校の対決にあったと言っても過言ではない。

両校は毎年11月23 日の勤労感謝の日に関東大学ラグビー対抗戦と、大学ラグビー日本一を決める全国大学ラグビーフットボール選手権大会などで対決する。いわゆる「早慶戦」の歴史は古く、最初に行われたのは1922年と大正時代までさかのぼる。2015年までに102回も対戦している伝統の一戦なのだ。

両校の定期戦が行われたきっかけは、早稲田がラグビーのルーツ校である慶応に対戦を申し込んだことにある。当時、学校の創立が早稲田よりも古かった慶応は、スポーツのレベルも抜きん出ており、初期の早慶戦は慶応が圧倒してた。だが、早稲田ラグビー部が海外遠征でボールを動かして相手の防御を乱し、その隙に攻撃する「揺さぶり戦法」を完成させると、その立場は逆転する。第1期黄金時代を築いた早稲田は、バックスに川越藤一郎や柯子彰などの名プレーヤーを配し、1931年からの早慶戦は早稲田が破竹の12連勝を飾っている。

写真:福沢諭吉

大学ラグビーは太平洋戦争中に一時中断されるが、終戦の翌年から再開。対戦成績表を見ると一目瞭然だが、戦後の早慶戦も早稲田がリードする形が続いた。そして、理論と練習で確固たる戦法を練り上げる名将・大西鐡之祐が早稲田の監督に就任すると、両校の実力差はますます広がってしまう。向かうところ敵なしだった早稲田は、1965年から大学選手権で2連覇3回を達成するなど、とにかく強かった。戦後から1995年までに慶応が早稲田に勝てたのはわずか8回だけである。

もっとも慶応が弱かったかと言うとそうではない。1977年の関東大学対抗戦では、早稲田の連勝記録を60でストップしている。また、創部100周年の1999年からの2年間は、元日本代表の上田昭夫監督のもとで栗原徹や野澤武史など選手達が躍動し、大学対抗戦で全勝優勝を達成した。

現在、早慶戦の成績は早稲田が72勝と大きく勝ち越しているが、伝統のライバル対決に終わりはない。

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