SPORTS COLUMN
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冬の風物詩:早明戦

Text:橋本雅生

早稲田大学×明治大学

早慶戦と共に高い人気を誇り、試合には多くの観衆が詰めかける「早明戦」。現在、関東大学ラグビー対抗戦グループは2部制だが、上位のAグループには早稲田、明治が鎮座してきた。早明戦が始まったのは1923年。この頃から両校は全国大学選手権大会で優勝回数が1位と2位と一歩も譲らない戦いを見せてきた。対抗戦は早稲田が52勝と勝ち越しているが、大学選手権では明治が早稲田を上回る成績を残している。なお、両校が大学選手権決勝で顔を合わせたのは10度。ここでも明治が6勝と優勢。つまり、対抗戦は早稲田が強く、大学選手権では明治に分がある構図となり、実力が拮抗した両校はまさに宿命のライバルなのだ。

対抗戦の成績表を見てもわかる通り、早稲田が連勝すれば明治も連勝で巻き返すような激闘を繰り広げてきた両校。さすがに1960年代から早稲田黄金期は、明治に分が悪かったが、熱い熱戦が多かった早明戦はいつしか国民的な行事となっていく。人気が隆盛を極めたのは1970年代後半からで、1979年に甘いマスクで人気を博した本城和彦が早稲田に入学すると人気が沸騰。国立競技場で行われた1981年の早明戦は、6万6999人の観衆が詰めかけた。この観客動員数は歴代3番目の記録である。

写真:大隈講堂

では、なぜ早明戦は人を熱くさせるのか――。それは両校のラグビーのスタイルが対照的だからと言われている。明治は「日本ラグビー界の神様」と評される北島忠治が、1929年から67年にわたって監督を務めた。明治は北島が生涯言い続けた「前へ」の指導理念のもとで、強靱な体力とスピードで真っ直ぐ突破する重量フォワードを築き上げる。フォワードを重視した縦の明治に、早稲田は横の揺さぶり戦法で対抗し、多くのラグビーファンを魅了してきたのだ。

両校の名勝負は数多いが、その中でも有名なのが1987年の「雪の早明戦」だろう。前日から降り積もる雪の中で行われたこの試合は、後の日本代表になる明治の吉田義人、早稲田の堀越正巳、今泉清らが出場。試合は泥でユニフォームの区別ができないくらいに泥だらけになった選手達から魂のような湯気が上がり、ロスタイムまで繰り広げられた死闘は、後世に語り継がれる伝説の試合となった。これらの名勝負が早明戦に不動の人気をもたらしている。