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池山隆寛さんが衝撃を受けた“野村監督の一言”とは?

Text:遠藤玲奈

【元スワローズ 池山隆寛さんトークショー】

2位、6位、5位、1位……東京ヤクルトスワローズのセ・リーグでの順位を去年から遡るとこうなります。強いのか、弱いのか。なんとも難しいところです。

池山隆寛さんが在籍していた頃は球団の歴史の中で最も輝かしい時代という印象ですが、そうなる少し前、入団したばかりの頃は「万年Bクラス」でした。
短期間での監督交代が続きましたが、池山隆寛さんの特徴的な打撃が生まれるきっかけになったのが、入団4年目当時の監督、関根潤三さんの指導でした。
振ってみろと言われて素振りを始めると、何分経っても何ひとつ声がかからない。このまま続けていてよいのかと気になりつつ、勝手に中断するわけにもいかず……さすがに長すぎると振り返った時には、監督はその場にはいませんでした。
漫画のような話ですが、長時間の素振りをその後も日々継続したことが、体力作りとフォーム固めに役立ったのだそうです。

当時からフルスイングが持ち味でしたが、その分、池山隆寛さんは三振も多い選手でした。
そのことについて、関根さんが落合博満さんに相談したことがあったそうです。
落合さんは池山隆寛さんより10歳ほど年上ではありますが、当時はもちろん現役です。監督が他球団の一選手に相談するというのは、おそらくそれほど一般的なことではないように思われます。
体面を気にせず、選手のためになると考えられることなら何でもやってみる。柔軟で優しい監督だったことがうかがえます。
「楽しく野球しなさい」と教えてくれたと、池山隆寛さんもおっしゃっていました。

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何が何でも勝ちに行く

そんな関根さんの後任が、野村克也さんだったのです。
野球に詳しくない人にも、大変そうだなと察しがつくかと思われますが、案の定の事態が池山隆寛さんを待ち受けていました。
監督就任早々、野村さんの「タレントはいらん」という言葉がスポーツ紙に載ったのです。
女性や子どもたちなど、幅広い層から人気を集めていた池山隆寛さんに、調子に乗るなと釘を刺すひと言でした。「楽しく野球を」から「何が何でも勝ちにいく」 への大転換です。

ID野球と呼ばれる野村克也さんの野球では、ミーティングが非常に重要です。
データを駆使した方法は時代の先を行くもので、斬新とみなされましたが、ミーティングはデータの共有のためだけに行われていたのではありません。そこでなされていたのは、いわば人間教育でした。
野球をやめた後の人生は長い、その時に役立つように、と野村さんはおっしゃっていたそうです。
「人はどう生きるべきか」「仕事とは何か」「いかに取り組むべきか」。社会学や哲学のような問いが、選手たちに投げかけられます。

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一番勝ちたいのはこの俺や!

白板に次々と板書されていくのをびっしりと写しとったノートの一部を見せていただきました。
はじめの頃は書くので精いっぱいだったそうですが、あとから読み返せるように清書し直していたとのことで、確かにとても見やすくまとめられていました。
野球に直結する内容でなくても、それだけ真剣に聞くに値することだと感じさせる熱意が、野村さんから伝わったのでしょう。

広澤克実さんはなぜかあまり怒られなかったそうですが、池山隆寛さんと古田敦也さんはとにかくよく怒られていました。捕手の古田さんは「なぜそのサインを出した、指一本に人生がかかっとる」という言葉に続いて、次のように言われていたそうです。
「いちばん勝ちたいんは、この俺や!」

古田さんはよく重圧に耐えられたものだとため息が出ますが、全ての選手が監督の思いに応えた結果が、在任中4度の優勝と3度の日本一でした。
個性的な監督たちの下で培われた、勝利への揺るぎない思いとスワローズ愛。
池山隆寛監督誕生の瞬間を、多くのファンが心待ちにしています。

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『ラブすぽ』ライター:遠藤玲奈
池田高校のやまびこ打線全盛期に徳島に生まれる。慶應義塾大学法学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。選手としての経験はないが、独自の方法で野球の奥深さを追究する。特に気になるポジションは捕手。フルマラソンの自己ベストは3時間31分。