女性蔑視の発言で森喜朗氏が会長の座を降り、新人事が決定した東京オリンピック・パラリンピック組織委員会。偏見・差別のない平等はオリンピック精神の一つであるのは勿論だが、一連の騒動は組織の危機管理やガナバンス、リーダーシップについても疑問を投げかけた。ジェンダー平等に賛同するHALF TIMEでは、マラソンのオリンピックメダリストであり、スペシャルオリンピックス日本理事長、国際オリンピック委員会(IOC)Sport and Active Society Commissionメンバーも務める有森裕子氏に、「緊急提言」を行っていただいた。
改めて求められる、真のリーダーシップ
――東京オリンピック・パラリンピックを巡る状況、そして有森さんがスペシャルオリンピックスの大会開催を見送られた件について考える度に痛感するのは、やはりリーダーシップの重要性です。今の日本スポーツ界に必要なのは真のリーダー、東京大会に関して言えば、単に大会を開催する・しないではなく、きちんと社会全体やアスリートのこと、そして一般の人たちの気持ちを踏まえた上で、理解や共感、コンセンサスを得ていけるようなオーガナイザーが求められている印象を受けます。
「それもそうですし、あとは様々な決断を下すリーダーを本当に社会から信頼、信用される存在にするためには、メディアとのコミュニケーションも大切になりますね。メディアとのコミュニケーションがきちんと図れていないと、きちんとした情報の発信はできないんです。だからこそリーダーには信頼関係をきちんと結ぼうとしたり、やっぱり嘘のない情報を大切な場で、透明性をもって発信していくことが求められる。そういう努力やコミュニケーションは、やはり少なかったような気がしますから」
――仰っていることはよくわかります。メディアの人間として自戒を込めて言いますが、メディアはとかく方針がぶれやすい。東京オリンピックやパラリンピックの問題に限らず、政治問題などでも、やたらと忖度して正確な情報を伝えないことも往々にしてあれば、逆に自分たちが有利な立場になった時には寄ってたかって批判し、鬼の首を取ったように騒ぎ立てる。ニュートラルな視点で一歩引いて報道する。損得勘定ではなく、これは正しいのか正しくないのかという信念に基づいて、責任を持って報じていく。そういうメディア本来の機能が求められているのは明らかです。
「だと思いますね。もちろん私もメディアにはすごくお世話になったし、持ちつ持たれつで、メディアに育てていただいた部分もたくさんある。だからこそ自分の言葉で、自分の考えをちゃんと伝える努力はしなければいけないと思っています。信頼関係を築く一方、距離感を見極めていくのも大事ですし
今回の一連の出来事に関して言えば、オリンピックやスポーツというものは、社会的にどういう意義を持っているのか、どういう意味を成さなければならないのかをもう一度じっくり考えた上で、一つひとつの言葉を丁寧にメディアを通して発信していく。そういう姿勢が、それぞれに求められているのは確かだと思います。
もちろん世代によって、情報発信の方や表現の仕方はいろいろあっていいと思うんですけど、様々な議論の根幹の部分では、何故にスポーツは大事なのか、オリンピックやパラリンピックを行う意味はどこにあるのかを考えなければならない。どんなに時代が変わっても、その意味は絶対に変わってはいけないし、真摯に考えていく作業は、コロナ禍の中でますます重要になってきていると思いますね」
正しく理解し、考え、判断していくために
――男女差別の問題であれ組織のガバナンスであれ、それこそコロナ禍や東京大会開催の問題であれ、ものごとを正しく理解し、考え、判断できるようにする。ここまでのお話を踏まえると、それこそが我々に対して最も求められていることなのかもしれません。
「スポーツというものは、自分の生活の中に余裕がないとなかなか考えられないじゃないですか。ましてやコロナ禍のように大変な出来事が起きたりすると、スポーツの優先順位は真っ先に低くなってしまう。
でもスポーツは健康づくりに直結するし、他のエンターテインメントや芸術よりもいろんな人が気軽に参加しやすいので、みんなで幸せな生活を実現していくために、すごく有効な手段になる。それに様々な社会問題を考えたり、みんなで前向きに解決したりしていくための場にもなるんですね。
だからこそスポーツが持っている本当の価値や、オリンピックやパラリンピックが持っている意義を理解してもらうことは大切になる。多くの人に正しく考えてもらうようにするためにも、スポーツ界がきちんと情報を発信していく、適切に情報を開示していくことは大事だと思います」
スポーツ界が想いを伝えていく
――それと同時にスポーツは、人々の気持ちを明るくする効果も持っています。もちろんスポーツの試合や大会は、社会が平穏でなければ開催できません。しかしコロナ禍になったからこそ、スポーツが持つポテンシャル――多くの人々に感動を与えたり、前向きな気持ちにしたり、あるいはつらいことを一瞬でも忘れて、明るい気持ちや話題を提供できる力というのは、改めてクローズアップされている印象を受けます。
「そう。スポーツには、人が生きるに必要なものを育める、すばらしい力がある。もちろんオリンピックやパラリンピックも、開催できるに越したことはないんです。私自身、アスリートのためにもなんとか開催してあげたいという気持ちは、捨てがたいものがありますから。
でも、そのためには、やはり大会を開催できるような状況にならなければいけない。では開催できる状況とは、どんな状況を指すのか。
コロナ禍の中で開催する方法に関しては、無観客にしようという意見もあるじゃないですか。もし本当にそうしようとするなら、この状況の中で『どうしてわざわざ無観客にしてまで大会を開催しなければならないのか』という理由や必然性、方法論をしっかりと説明して、理解を得られるようにすることが不可欠になる。
『いろいろ大変なことがあったけれど、なんとか大会開催にこぎつけられてよかった』、あるいは『選手がかわいそうだ』というようなスタンスだけでなく、大会を開催する側も参加する選手の側も、自分の想いを言葉にしてもっと外に伝えていく。そうすれば、スポーツが社会になせる意義や必要性というものをより深めていくことがきるし、一般の人たちにもっと気持ちも伝わっていくと思うんです。
例えば日頃、応援してもらっている一般の人たちへの恩返しの気持ちを込めて、『自分たちは皆さんにちょっとでも元気になっていただきたいので、競技を通して頑張ります』というメッセージをもっと積極的に発信していく。こういう試みだっていいと思いますしね」
――スポーツ界をもっと身近に感じてもらえるようにする、自分たちも社会の一員だと訴えかけていく。
「それがないとスポーツ界は、いつまで経っても一種独特なものという位置付けを変えられない。世間一般の人たちでなく、スポーツ界にいる人たちだけのもので終わってしまいますから」
「フォー・スポーツ」から「バイ・スポーツ」へ
――この記事は一般の方々もアスリートの方々も、お読みになると思います。今、有森さんからそういう方たちに語りかけるとすると、どんなメッセージを送られますか?
「そうですね……ある意味、多くの人の笑顔が生まれる未来にしていくためにも、大切なことに目を向け、考えていきましょうという感じですかね」
――みんな大変だし、いろんな立場や事情があるのはわかる。だからこそ一緒に力を合わせてハードルを乗り越えて、建設的な議論をしていきましょうと。
「誰が偉いとか、誰が一番だというような話じゃないですから。私たちが今支えなければならないのは、こういう状況の中で必死に頑張ってくださっている医療従事者や、リスクを負いながら公共サービスに従事している人たちだと思うんです。
そこが崩れたら、私たちの社会全体が崩れてしまう。病気になった時にお医者さんに診てもらうこともできないし、食料品を買うこともできない、荷物も届かないという状況になるのは目に見えている。私たちが当たり前に享受している日常生活、こういう世の中の動きを止めないようするには、そこを支えている人たちを守っていかなければならない。
そのためには今、自分たちが何をしなければいけないかということを、社会の一人ひとりが考えなければならないと思うんです」
――スポーツ界やアスリートの方々も含めて。
「もちろん。スポーツ界にいる人間こそが、社会に対して何ができるかを考えていく。これは為末大くんが言ったことだと思うんですけど、『フォー・スポーツ(スポーツ界のために)』ではなくて、『バイ・スポーツ(スポーツによって)』という視点に立たなければならない」
――それが長期的には「フォー・スポーツ(真にスポーツ界のために)」だったり、「フォー・オール・ヒューマン・レイス(人類全体のために)」になっていく。
「ええ。私たちに今最も求められているのは、その発想だと思いますね」
聞き手:田邊 雅之
学生時代から『Number』をはじめとして様々な雑誌・書籍でフリーランスライターとして活動を始めた後、2000年から同誌編集部に所属。ライター、翻訳家、編集者として多数の記事を手掛ける。W杯南アフリカ大会の後に再びフリーランスとして独立。スポーツを中心に、執筆・編集活動を行う。
初出=「HALF TIMEマガジン」21年2月22日掲載
スポーツビジネス専門メディア「HALF TIMEマガジン」では、スポーツのビジネス・社会活動に関する独自のインタビュー、国内外の最新ニュース、識者のコラムをお届けしています。
公開日:2021.05.26